※本稿は、クロちゃん『日本中から嫌われている僕が、絶対に病まない理由 今すぐ真似できる! クロちゃん流モンスターメンタル術30』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
耳を貸すべきバッシングと、無視すべきバッシングの見分け方
アンチからのバッシングで目が覚めた「ヤクルト事件」の一部始終を前述しましたが、一方で僕には「新幹線事件」というものもあります。
これは僕が新幹線で座席を倒して寝ている写真をアップしたら、「後ろの人が迷惑だ!」「マナー違反!」と大炎上した一件。「お前は新幹線に乗る資格はない!」とまで言われました。「そう批判するお前は、俺を乗車拒否させる資格を持っているのか?」って逆に問い質してやりたかったですけど。
この件は、まったく納得がいかなかったんです。そもそも後ろの座席には人が座っていなかった。誰にも迷惑はかけていないうえに、ルール的にも違反していない。
だから謝罪なんて一切する気もなかった。完全に無反省。今でもなぜ叩かれたのか納得がいっていないですね。
普段、SNSをエゴサーチしながら僕が考えているのは「これは新幹線なのか? ヤクルトなのか?」ということ。その選択が大事になってくる。
「新幹線」のバッシングのときのように、スルースキル全開で相手を見下すのが正解なのか? 「ヤクルト」のバッシングのように、厳しい声を素直に受け止めて学びに変えていくのか? 「今回のバッシングはどちらのパターンの罵詈雑言なんだろう……?」と。
耳が痛いことを言われても、馬耳東風で聞き流す――。たしかにこれは精神衛生上はダメージも少ないんですけど、同時に偏屈になって孤立化する恐れもあるんです。だから、人の意見に耳を傾けること自体は大事。
僕の中でひとつ判断基準としてあるのは、「他人に迷惑をかけていないか?」という点。「ヤクルト事件」のように不快な思いをする人が存在する場合と、「新幹線事件」のようにルール違反をしていないのに言いがかりをつけられたケース。
2つの出来事は同じバッシングでも、まったく意味が違う。こういう投稿をしたら他人がどう感じるか? どんな影響があるのか? 想像力が大事なんです。
本稿を読んでいる人で「私はSNSをまったくやらない」という方もいるかもしれませんね。でも、だからといって「自分は無関係」ということにはなりません。
もしあなたがスマホにまったく触れていなくても、あなた以外のほとんどの方はネットと接続している状態。あなたの行動を誰かにつぶやかれて炎上する恐れだって常にあるんです。
ネット社会は監視社会。ストレスと常に背中合わせです。厄介な話ではありますが、時代が変わりつつある以上、ある程度は覚悟するしかないでしょうね。