しかし、キエフで暫定政権を担ったヤツェニュク首相は、東部においてウクライナ語の使用を進める政策を採用した。この政策は、ロシア語を公用語とするドンバス両州で猛烈な反発をひきおこし、ロシア軍のさらなる動員が伝えられた。新たに大統領に選出されたポロシェンコは、2015年2月に独仏の賛同をえて「ミンスク合意」を結び、ドンバス問題の解決を企図したが、事態の鎮静化にはいたらなかった(拙著『危機の外交 首相談話、歴史認識、領土問題』(角川新書、2015年、202~210ページ)。

ミンスク合意については一言説明しておかねばならない。ドンバスとNATO拡大の問題が連結していることは、ミンスク合意の中身を見ることによって、よくわかるからである。

2021年10月6日、ドローンで撮影したキエフの街
写真=iStock.com/Ruslan Lytvyn
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プーチンにとっては値千金だった

2015年2月に確定したミンスク合意の署名者は、ロシア・ウクライナ・ドイツ・フランス・OSCE(欧州安全保障機構)の代表であり、問題となっているドネツクとルハンスクのロシア人居住区の代表も参加した。最大の合意点は、ウクライナ国家の中に、ロシア人の人権が保障される2つのロシア人特別区をつくることにあった。ウクライナ大統領には、国際合意となったミンスク合意を実施するために必要な施策を行う義務が課せられたわけである。

しかし、ミンスク合意が無事に実現した場合、ウクライナは、自国の中に「ロシア人特別区」を持つことになる。ウクライナのNATO加盟問題が出たときに当然この特別区の人たちは反対することになる。しかるにNATOには内規があり、「民族紛争または領土紛争を有する国はこれをOSCEの原則に従って平和的に解決しなくてはならない。これらの紛争を平和的に解決しているかどうかが、加盟を許すか否かの判断要因になる」(「NATO拡大に関する研究=2008年11月5日改訂」)とされている。

この内規に照らせば、ウクライナとジョージアは、事実上NATO加盟が不可能になる。プーチンにとって「ミンスク合意」こそ、一石二鳥の大政策だったと言ってもよい。

ゼレンスキー大統領「彼らはテロリストだ」

しかし、ポロシェンコに代わって大統領に選ばれたゼレンスキーは、ミンスク合意の全否定から政策を開始した。筆者は、2019年5月に選出されたゼレンスキー大統領が、2018年11月8日の選挙で選ばれていたドンバス2州のロシア人地区の代表者について「彼らはテロリストだから会わない」と言い出したのを知り、驚愕した。