「教育ママ」は昔からいたのか。歴史小説家の永井路子さんは「日本史で教育ママというと、豊臣秀吉の妻、淀君がいる。息子の秀頼を父親と同じ関白にしようと大事にしすぎた結果、一人で馬にも乗れない超肥満児のボンクラに育ててしまった」という――。

※本稿は、永井路子『歴史をさわがせた女たち 日本篇』(朝日文庫)の一部を再編集したものです。

伝 淀殿画像
伝 淀殿画像(図版=奈良県立美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

「教育ママ」は戦後生まれなのか

このところ、教育ママへの風当たりはめっきり強い。中には戦後の産んだ大罪の一つのようにいう人もある。だが、ほんとうに教育ママは戦後の悪現象なのだろうか。