「教育ママ」は昔からいたのか。歴史小説家の永井路子さんは「日本史で教育ママというと、豊臣秀吉の妻、淀君がいる。息子の秀頼を父親と同じ関白にしようと大事にしすぎた結果、一人で馬にも乗れない超肥満児のボンクラに育ててしまった」という――。
※本稿は、永井路子『歴史をさわがせた女たち 日本篇』(朝日文庫)の一部を再編集したものです。
「教育ママ」は戦後生まれなのか
このところ、教育ママへの風当たりはめっきり強い。中には戦後の産んだ大罪の一つのようにいう人もある。だが、ほんとうに教育ママは戦後の悪現象なのだろうか。
こちらは会員限定記事です。
無料会員にご登録頂くと、会員限定サービスをご利用いただけます。
30秒で世の中の話題と動きがチェックできる限定メルマガ配信
約5万本の全ての記事が閲覧可能
記事を印刷して資料やアーカイブとして利用可能
会員限定イベントにご招待