「自分は全能だ」という勘違いを生むプロセス
大人に近付いた。この実感が子供には更なる成長を促す。そう考える私たちは、だから勝利こそが子供に自信をつけ健やかな成長をもたらすと信じ込んでいる。
ただ勝利がもたらすこの自信は、たちまち容易に慢心へと変わる。
試合に勝ち、賞賛を浴び続ければ、自分はもう一人前なのだと勘違いする。もしそれを正す指導者や親がいなければ、勝負に勝つために身に付けたエゴイズムも後押しして、自分は常人とは異なる特別な人間だと思い込む。やがて少々なら社会通念を無視しても許されるとさえ考えるようになる。
こうなれば社会通念と自分の考えとのズレを修正する必要がなくなるし、むしろ社会通念からの逸脱は己が特別な人間であることの証左であると肯定的に解釈するようになる。
こうして「全能感」を獲得するに至る。勝利は、その取り扱い方を間違えれば「全能感」を植えつける麻薬になりえるのである。
競技を取り上げられたら何も残らない自分に絶望する
スポーツ推薦生が非行に走るのは、この「全能感」がただの思い込みであったと気付き、スポーツを取り去れば空っぽに過ぎなかった自分を突き付けられたからである。また、一部のアスリートが著しく社会通念から逸脱する行為に至るのは、成長期に勝ち続けたことで「全能感」を内面化し、自分はなにをしても許される存在なのだと高をくくっているからだ。
いずれも自我が形成される大切な時期に、スポーツだけに取り組み、勝利だけを追い続けたからである。勉学も、友達や家族と過ごす時間も犠牲にして、練習に明け暮れたからである。
むろんこうしてスポーツをする子供全員が、慢心の果てにある「全能感」を内面化するわけではない。