三毛別事件の前年に小学生が喰い殺されていた

実はもうひとつ凄惨な事件が起きていた。隣の北竜村で大正3年9月に発生した事件である。

「19日、雨竜郡北竜村字ボウ野沼田小学校生徒、明地勇(13)および山村米蔵(13)の2人、午前7時半頃、登校の途中、突然、熊笹くまざさの中より1頭の巨熊が現れ、悲鳴をあげる勇を一撃のもとに打ち倒し、爪にひっかけたまま十間ばかりも引きずって勇の臓腑ぞうふを引き出してこれを喰い、再び熊笹の中に姿を没した(後略)」(『小樽新聞』大正3年9月21日より要約)

登校中の小学生が喰い殺されるという衝撃的な事件は、地元民の記憶に焼きついたらしく、同じ事件の記述はほかの回顧録にも散見される。

「一同が近づいてみると衣服はズタズタに引き裂かれ、内臓は余すところなく食われてしまい、見るも無残な姿に変わり果てていた。明地君の父親は涙をボロボロ流しながら、自分の着ていた印半纏を脱いでその上にかけ、部落民の用意した担架に乗せて笹藪ささやぶをかき分け家に向かったのである」(『沼田町史』)

加害熊の断定は難しい

事件同日の午後3時頃、50貫以上もある大熊が仕止められた。

新聞も3歳の加害熊が銃殺されたと報じている。

しかし、このヒグマは加害熊ではなかったようである。

というのも、7カ月後の新聞に、「児童を喰殺した熊か」の見出しで、加害熊らしき別の熊が目撃されたという記事が掲載されているからだ。

「大正4年5月、雨竜郡北竜村の恵比島沢へ砂金鉱区調査に向かった4名が、巨熊1頭が仔熊2頭を引き連れているのに出会し、手負いのまま逃がしたが、仔熊は生け捕った。この親熊が、『昨年10月(筆者註:9月の間違い)同地付近にて小学生を喰い殺し、かつ数年来その地方を荒らしたる熊なるべく(後略)」(『小樽新聞』大正4年5月5日より要約)

ヒグマによる殺傷事件が起きると、必ず熊狩りが行われたが、それによって殺されたヒグマが加害熊であったかどうかは疑わしいケースもあった。とりあえず一頭討ち取ることで、住民を安心させる意味もあったともいわれる。

道東のある猟友会のベテラン猟師によれば、「熊の胃袋や糞から被害者の一部や衣服の切れ端などが見つからない限り、断定は難しいのではないか」という。

森の中のクマ
写真=iStock.com/DrDjJanek
加害熊の断定は難しい(※写真はイメージです)