食害は「女性と男児」に限られていた

前出『慟哭の谷』中に、次のようなくだりがある。

雨竜うりゅう郡から来たアイヌの夫婦は、『このヒグマは数日前に雨竜で女を食害した獣だ』と語り、証拠に腹から赤い肌着の切れ端が出ると言った。あるマタギは、『旭川でやはり女を食ったヒグマならば、肉色の脚絆きゃはんが見つかる』と言った。山本兵吉は、『このヒグマが天塩で飯場の女を食い殺し、3人のマタギに追われていた奴に違いない』と述べた。解剖が始まり胃を開くと、中から赤い布、肉色の脚絆が出て来た」(前掲『慟哭の谷』より要約)

いずれの証言でも「女がわれた」ことが共通している。

三毛別事件で食害されたのは「女性と男児」に限られていたのだ。

三毛別事件の2カ月前に起きた「別の獣害事件」

「このヒグマは数日前に雨竜で女を食害した獣だ」という証言は、次の事件を指していると思われる。

「雨竜郡深川村大鳳(中略)谷崎シャウ(42)は、25日午後3時、家族3人にて自宅をさる約100間の畑地に作業中、(中略)1頭の熊が駆け来るを認め、一同避難せんとするや、突然後方の藪の中より現れ、シャウに飛びかかり後頭部をき、その胸に咬みつき肉をえぐりたるに、他の両人はこれに抵抗、実子武夫(18)は右手を咬まれ、なお両足に軽傷を負った。熊はそのまま逃走、シャウは絶命した」(『小樽新聞』大正4年10月1日)

この事件は、三毛別事件の2カ月以上前に発生している。また、雨竜から苫前までは40キロ程度だ。

この熊が事件を起こした後、地元猟師に追撃され、天塩山中を北へ逃れ、三毛別事件を起こした可能性は十分にある。

牙をむくヒグマ
写真=iStock.com/Byrdyak
三毛別事件の加害熊に前科はあったのか?(※写真はイメージです)