なぜ「二番手でいい」と感じていたのか

一方で、編集長に次ぐこの「二番手」の居心地の良さも感じていた。副編集長は他企業で言えば課長級だが、雑誌の部数、広告の売り上げ、予算の管理、人の採用から、記事の間違いなどトラブルのリスク管理まで最終的に雑誌の全責任を背負っているのは編集長(部長級)である。私自身は副編集長として裁量権は持ちつつも、最終的に全責任を背負うポジションに自分がなれるとは思っていなかった。

2014年に編集長になった後、なぜずっと「二番手でいい」と感じていたのか、何度も考えた。

私は編集部員時代から数えると7人の編集長と一緒に働いたが、全て男性だった(私が2014年に編集長になるまで、AERAは創刊以来25年間、ずっと編集長は男性が務めた)ので、編集長のモデルとして、男性の特性が刷り込まれていたと思う。

先のトーゲル教授が挙げた男性・女性の自己分析の通り、私から見えていた男性の編集長は「トップダウン」「指示命令型」が多く、それが決断力、実行力に繋がるものと見え、「私にはあんなリーダーシップは無理だな」と感じていた。まさに男性リーダー像の呪縛にとらわれ、それが自分の中に「内なる壁」を作っていたのだ。

一人、群衆から離れて歩き出す人
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女性リーダーが男性をマネしてもうまくいかない

女性たちが管理職やリーダーを躊躇する要因の一つが「ロールモデル不在」であることはよく知られている。周囲に男性のリーダーしかいない場合、また女性のリーダーがいたとしても従来の「男性型」をなぞったような女性だと、「とても自分には無理だ」と思ってしまう気持ちは、経験上よくわかる。

だが、編集長になって気づいたことは、リーダーシップのスタイルは自分で創っていくしかないということだ。男性のマネをして急にトップダウン型になれるはずもない。自身の強みを生かす、それ以上に自分が今できる形でやるしかないと開き直った。

もしあの時、「リーダーにはいろいろなタイプがあっていい」「むしろ自分の特性がリーダーとして求められている」と言われていたら……。もっと自信を持って、早くから編集長をやってみたいと思えたのではないかと考えている。