なぜ私たちは病気になるのか。医師の大脇幸志郎さんは「人体のしくみはあまりに複雑で精妙なので、本当のところはだれもわかっていない。いまの世の中では、医師に健康情報を求めることが常識になっているが、健康情報とは『お告げ』のようなもので、役に立つものではない」という――。

※本稿は、大脇幸志郎『運動・減塩はいますぐやめるに限る!』(さくら舎)の一部を再編集したものです。

薬を説明する医師
写真=iStock.com/SARINYAPINNGAM
医者にはなにも説明できない(※写真はイメージです)

医者にはなにも説明できない

医者は下品です。医学は下品です。健康について考えることそのものが、下品でバカなことです。

ですから、病気について、あるいは体について、説明を求めることも、下品でバカなことです。

いまの世の中では、健康を神とし、医者を神官とする奇抜な宗教がはびこっています。

教徒たちはあらゆることを健康の神話に回収しようとします。

新しいものを見れば「体にいい」か「体に悪い」かに振り分け、人の行動を脳とかゲノムで説明しようとし、体に起こることはなんでも医学の言葉で説明しようとします。

あげくの果てには、「雨の日に腰がジーンとしてくるので、痛み止めを使うほどではないのですが大丈夫でしょうか」というわけのわからない相談が医者に持ってこられます。

医者にはなにも説明できません。医者は生理学者ではありませんから、そもそも人体のしくみをよく知っているわけでもありません。教科書に載せられるていどの少数のパターンに病名をつけて、診断とか治療に関係するところをつまみ食いして知っているだけです。

治療できないものは説明してもムダですから、知りません。

「説明する努力をしない」という意味ではなく、本当に知りません。わかりません。

わたしもよく「わかりません」というのですが、認めてもらえず、しつこく説明を求められることがあります。そんなときはでたらめをいってごまかすしかありません。

幸か不幸か、どんなでたらめをいっても、バレる気遣いはありません。だれも正解を知らないことですから。

それでもウソの自白をするまで拷問ごうもんされるのはなんとも気分が悪いものです。

しかし、わけのわからない相談を持ってきた人ほど、そんなでたらめのお話にコロッとだまされて、満足して帰っていったりもします。

つまりその人はもともとべつに困っていないけれども神の呼び声が聞こえたと思ったので、治してもらいにではなく、お告げを聞きに来たわけです。