約40年間で主要3紙の関連記事はわずか

実際、データベースで1980年1月1日から2022年8月31日の間、朝日、毎日、読売の各新聞で、「統一教会」とジェンダー政策の関連性を検索してみても、記事はほとんどヒットしない。「統一教会と性教育」というキーワードで検索すると、朝日新聞で1件のみ、選択的夫婦別姓では朝日1件、毎日3件、同性婚では朝日1件、毎日7件という具合だ。

同じく伝統的家族観を重視する宗教団体や有識者らでつくる日本会議は、ここ数年その存在がクローズアップされてきたが、それでもこの団体とジェンダー政策との関係性を報じている記事は少ない。同じように3紙を検索すると、性教育では朝日が2件、毎日3件、読売1件、選択的夫婦別姓では朝日が6件、毎日9件、読売1件だ。

元朝日新聞記者でジャーナリストの竹信三恵子さんは、1995年の北京女性会議前からジェンダー政策について取材し続けてきた数少ない記者だ。2000年に入ると男女共同参画審議会の専門委員にも就任。竹信さんの30年間は、記者として、宗教右派や保守系議員によるバッシングの影との闘いでもあったという。

「ジェンダー」でさえ言葉狩りの対象に

1996年2月に選択的夫婦別姓などを盛り込んだ民法改正案要綱が法政審議会で決定され、1999年に男女共同参画社会基本法が制定されると、保守勢力からの攻撃は加速した。男女平等を意味する言葉として使われていた「ジェンダーフリー」を男女の区別を無くす概念だと歪曲化。「ジェンダーフリー」だけでなく、「ジェンダー」という言葉すら、言葉狩りにあったかのように、行政やメディアから消えていった。

最近でこそ、朝日新聞でも「Think Gender」というキャンペーンも始まったが、メディアでも長らくこのジェンダーという言葉は使いづらい空気が蔓延していた。

ジェンダー叩きの極め付きは個別の記者や有識者に対するバッシングだった。竹信さんも、世界日報に名指しで「札付きのフェミニスト記者」と書かれた。当時、世界日報では男女共同参画会議に参加しているメンバーやフェミニストのバッシング記事が相次いで掲載されていた。

だが闘いは、宗教右派や保守系議員との間だけではなかった。新聞社内でも、男女平等やジェンダーに関する記事を取材し、掲載しようとすると、ある時には露骨に、ある時には無言の圧力があったという。当時の新聞社内は幹部も管理職も圧倒的に男性だった。「男女平等は大事だと言いながら、それに関する記事は嫌がる空気が社内にあった」と竹信さんは話す。