今回のような大騒動になったケースを知らない

昔も、勝新太郎が十数人も引き連れてクラブをはしごしていたり、石原裕次郎がホステスを何人も愛人にしたりといわれた店はあった。

私は、あるクラブで顔見知りのヤクザに挨拶されたこともあった。しかし、彼らは大声を出すことも他の客にすごむこともなく、静かに飲んで静かに出て行った。

昔ながらのラウンジバー
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時には、芸能人が酔ってくだを巻いたこともあったが、芸能ゴシップの片隅に出るくらいだった。記憶をたどっても、今回のような大ごとになったケースを思い出せない。

なぜなのだろう? 雇われママが多くなったため、ママが昔のように、客に“毅然きぜん”と対処できていないからか。働いている女性たちが、おカネだけが目当てで、自分の仕事に誇りを持っていないからか。

今はほとんどないが、二昔前までは「文壇バー」というのがいくつかあった。そこへ行けば、綺羅星のごとく、売れっ子から文豪といわれる作家たちに会え、話を聞くことができた。酒の飲み方は作家の山口瞳さんに教えてもらった。社会や時代を見る眼は本田靖春さんから学んだ。  

多少のノスタルジーもあるが、銀座のクラブはホステス嬢と疑似恋愛もできる「大人の社交場」だったのだ。そこでは「粋」に遊ぶことを学んだ。

一番変わったのは「お客」ではないか

何度か一緒に酒を飲んだ作家の渡辺淳一さんが、「クラブでモテる秘訣は女性を口説かないことだ」といっていた。今夜は彼女を何が何でも口説くぞとギラついた眼をしている男に、真っ当なホステス嬢はなびかない。私のことをいわれているようでドキッとしたものだった。

こう考えてみると、あの当時と一番変わったのは「お客」ではないかという結論にたどり着く。なぜなら、今回の2つのケースで不可解なのは、これだけの傍若無人な行為を、衆人環視の店の中でやっていた(杉森氏の場合はVIP専用の個室だそうだが)にもかかわらず、止めようとした客がいなかったということである。

クラブというのは、あるハードル(カネや地位)を越えた人たちの集まりだから、店に入れば浮世のしがらみを忘れて、ひと時を過ごすというのが共通認識であるはずだ。有名芸能人だろうと大企業の会長だろうと、座を乱す奴は、ほかの客が黙っていなかった。少なくとも、私が通っていた頃の銀座はそうだった。

ましてや、今回の暴行行為は、店側が穏便に収めようとしても、客が承知しないはずだ。