視聴率が取れていれば芸人頼りで十分だった

日本の文化は「ハイコンテクスト文化」だと言われる。それはトーク番組でも同じだ。日本国内のドメスティックな共感を基にしているから、芸人たちのトークも、言わずもがなのお約束がわからないと笑えない。

悪い側面から捉えると、結果的に日本のバラエティーは「芸人に頼り切った番組」がどんどん増殖し、お約束前提の内輪ウケを狙う方向に進んでいった。つまり日本のバラエティーがガラパゴス的な独自の進化を遂げていったのだと言うことができると思う。

視聴率が取れていれば問題はなかった。しかし、いまやZ世代の若者たちにもあまり通じないようになってきている。若者のテレビ離れがその証左だろう。

彼らは「前の世代と共通の文化的背景」をあまり持ち合わせていないからだ。雛壇の芸人たちのトークはどこか「共感できない別の世界の話」になってしまい、笑えなくなってしまっているのではないか。テレビの行き詰まりと、トークバラエティーの衰勢は少なからぬ連関があるように思う。

テレビのスタジオ収録
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TBSの地道な努力

そして時代は、ノンバーバルバラエティーに戻ってきた。国内では下火になっていた日本の「言葉がなくても笑えるバラエティー番組」は、海外で支持を広げ、トークバラエティーには無い国際競争力を持っていたことが大きい。

これは私の友人であるフランス留学経験のあるテレビマンから聞いた話であるが、「風雲!たけし城」は1990年代にフランスのテレビで深夜放送されていたそうである。そして、「結構フランス人の間で人気があった」ということだ。事実、世界中の多くの国で「風雲!たけし城」は再放送されて話題になり、しかもタイ、ベトナムなどのアジア各国やイギリス、サウジアラビアなど世界中にフォーマット販売された。

各国でローカライズされた「たけし城」が幅広く受け入れられていた。こうした番組販売とフォーマット販売を地道に続けて、世界に「たけし城」を広めてきたTBSの地道な努力はすばらしかった。

考えてみれば、番組にはかなり日本的な「たけし城」や「谷隼人隊長」などのキャラたちが登場する。だが、日本語が分からなくても理解できる「ノンバーバル」な笑いは外国人にウケた実績がすでにあったのだ。この点でトーク番組とは対照的だ。