しかし、どの政党・政治家を支持しているかを問わない全国民を対象にする行政イベントであるならば、招待者や参加者については、明確な基準が公表されるべきです。その点、特に安倍政権時代は不透明でした。

そして「国葬」は日本政府・国家を挙げての行政イベントです。特定の政党は関係ありません。そうであれば、岸田首相はこれを機に国会でしっかりと議論し、「国葬」の基準を明確化すべきだったのです。

どの組織でも同じですが、あるものごとを決める際、構成員が100%賛成することはほとんどありません。多数派が賛成しても、必ず反対者は存在します。しかし、そこで反対意見を無視すれば、後々禍根を残します。多数の賛成派が既成事実をぶち上げて、後から少数の反対派を説得するのはさらに困難な道のりです。

これは1億人を超える国家であろうと、10人程度の企業であろうと、同じ話です。どのような規模の組織であっても、リーダーが心がけておかなければならない重要なポイントです。

「明確な基準」と「プロセスの可視化」

正直なところ、安倍さんが「国葬」に値するかどうかに関しては、万人の意見が完全に一致することはないでしょう。アンチはいつどの時代にも存在します。でも、たとえ反対派でも、そこに「明確な基準」と「透明性の高いプロセス」があればある程度納得感が高まることも事実です。

天皇陛下は代々、国葬です。もしある天皇は国葬だが、別の天皇は国葬しないとなれば、大激論ひいては大紛争に発展します。もちろん天皇陛下と首相を同列に論じるつもりはありませんが、「基準」はシンプルが一番です。在任期間の長さや、功績の多少で判断するなどの意見もありますが、結局それも判断する側の主観や感情が入りやすい。都度「検討委員会」を設置する案もありますが、時間と労力のコストもかかります。安倍さんを国葬にするならば、今後首相経験者は皆、国葬にするというのが一番シンプルで明確ではないでしょうか。

ただし、ここで立ちはだかるのが、「安倍さんを国葬に」と強く望んでいる保守派の人だったりします。というのも彼らは、「安倍さんは国葬にふさわしい」が、おそらく野党の首相経験者は「国葬にふさわしくない」と主張するだろうからです。

しかし、それこそ内輪の理論や感情によって国家としての行政イベントを牛耳っていると批判されかねません。公的場面において、「自分基準の別格」は、通用しません。

ちなみにアメリカ大統領は歴代、国葬です。共和党だろうと、民主党だろうと、シンプルに皆国葬となります。

組織で構成員から支持を受けるのは、「フェアな思考」を持つリーダーです。自らが一時の感情で動く人間ではないことを示し、組織の分断を避けるためには、「明確な基準」と「プロセスの可視化」の表明が何より大切なのです。

(構成=三浦愛美 撮影=的野弘路)
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