逸見政孝氏のがん治療論争でブレーク

近藤医師とがん放置療法を有名にしたのは、1993年のフジテレビアナウンサーの逸見正孝氏の胃がん手術をめぐる一連の報道と論争だろう。

逸見氏は記者会見で、再発した進行性胃がんであることを自ら公表した。東京女子医大で消化器外科の「ゴッドハンド」と呼ばれた教授らによって数キロの臓器を摘出する大手術を受けたが、約3カ月後に死去した。

近藤医師は女子医大での治療について、『がん治療総決算』(文藝春秋)の中で「意味のない手術」と激しく批判し、積極的にマスコミの取材を受けた。雑誌プレジデント(2013年6月17日号)でも、「元気な人が、あっという間に変わり果てた姿で逝くのは、がんの治療のせい」などと発言。シンプルで歯切れの良い近藤医師のメッセージは多くのファンを獲得し、医学的な根拠を問題視する人は少なかった。

1995年、文藝春秋誌上で連載された『患者よ、がんと闘うな』は読者投票で1位となり、「文藝春秋読者賞」を受賞している。

教授候補から窓際医師に、そして定年

その後も近藤医師は次々と標準医療を否定する著作を発表し続け、医学的な正誤はさておきヒット作を連発したので出版界の寵児となった。ただし、慶應病院では教授候補から窓際医師へと変貌し、細々とセカンドオピニオン外来を行っていた。

2014年には講師のポジションのまま定年退職を迎え、その後は都内で「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」を開業し、相談料「30分3万2000円(税込)」の自由診療を行っていた。

しかし、オピニオン外来を受診した有名人からは、近藤理論への否定も相次いだ。

2009年、作家でロシア語通訳者の米原万里氏が「卵巣がんになったけど、近藤外来を受診して手術を選択しなかったら1年で再発した」といった内容を著作に記している。

2015年に胆管がんで近藤外来を受診し、その後に死去した女優の川島なお美氏も著作で「がんと診断された皆さん、決して『放置』などしないでください。まだやるべきことは残っています」と明確に否定している。

おなじ2015年には『そのガン、放置しますか? 近藤教に惑わされて、君、死に急ぐなかれ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『がんとの賢い闘い方 「近藤誠理論」徹底批判』(新潮社)と、がん専門医によるアンチ近藤誠本が次々と出版された。

この頃、慶應義塾大の看板を失ったせいか、あるいはインターネットの大波に乗り遅れて若いファンを掴めなかったせいか、近藤医師も徐々に影響力を失っていくように見えた。