一人でいても自由に好きなことができる

仲間がいないのを嘆くことはありません。一人でも楽しいことはたくさんあります。一人でできることに楽しみを見つけることができればいいのです。一人は気ままで自由です。

そういうと、そうした人生に意味があるのか、などとにらまれそうです。でも、人生に意味などいるのでしょうか。一匹で歩いている猫を見て不幸と感じるでしょうか。一人の気ままな自由を実感したら、きっと、人生に意味を見出す必要などないと思うでしょう。

海辺の柵の上にいる猫
写真=iStock.com/Евгений Харитонов
※写真はイメージです

私は学生のときから、一人でいるのが好きでした。山登りや自転車やランニングが好きなのは一人でできるからです。自分のペースで、誰に気兼ねする必要もありません。

山へはだいたい一人で行きます。長い時は3週間近く、人に会わないこともあります。冬は寒いです。風呂にも入れません。食事も質素なものになります。「何が楽しいの?」と友人に真顔で聞かれますが、荷物を詰め、山の準備をしているときは、まるで遠足前の子どもです。

また、私は一人暮らしのうえに留守がちなので、動物は飼えず、その代わりに植物を育てています。ランやグズマニアをいただいて鉢分けしたり、近所の花屋で買ったハイビスカスやブーゲンビリアなども育てていて、冬なのに花を咲かせていたりすると本当にけなげだと思います。話しかけると、まるで答えてくれるようなのです。

音楽を聴いたり、地図を見たり、本を読んだり、私の好きなことはすべて一人でできるものです。人嫌いなわけではありません。小さい頃から、一人でいる時間が多いのです。そこに、童心に戻れるような瞬間が少しでもあれば、それが幸せというものです。

私がテレビのニュースを見ない理由

猫はたぶん、テレビを見ません。ですから、擬人化された漫画や小説の中の猫でもない限り、ニュースを見て世の中を嘆いたりはしません。

私は一方的にたれ流されるテレビのニュースは見ないようにしています。必要な情報はネットや文献から取捨選択します。

私たちができるのは、自分の心持ちをしっかりさせることだけです。それができないのなら、なるべくネガティブなニュースを見聞きしないようにしましょう。これは、逃げではありません。自分にインプットする情報は自分で選べるのです。同様に、つきあう友だちも自分で選べます。できる限り、自分が心地良いものを取り入れるようにしましょう。