※本稿は、ニコール・パーロース著、江口泰子訳、岡嶋裕史監訳『サイバー戦争 終末のシナリオ』(早川書房)の一部を再編集したものです。
ロシアの攻撃は「クリミア併合」後も続いていた
二〇一七年六月二七日、NSA(アメリカ国家安全保障局)のサイバー兵器を使ったロシアのウクライナ攻撃は、史上最悪の破壊と被害をもたらした。その日の午後、あちこちのウクライナ市民は真っ黒なパソコン画面を目にした。
ATMから現金を引き出せず、ガソリンスタンドで支払いができなかった。メールの送受信もできなければ、電車の切符も買えない。食料品を買えず、公共料金も支払えない。
何より市民を恐怖に陥れたのは、チョルノービリ原発の放射線レベルの計測システムが作動しなくなったことだろう。ウクライナ国内だけでも、これだけの被害が起きていた。
ロシアのサイバー攻撃は、ウクライナ国内で事業を展開しているすべての企業を襲った。従業員がたったひとり、欧米の本社から遠く離れたウクライナの街で働いているだけでも、その企業のネットワーク全体が停止した。
世界的な製薬会社である、アメリカのファイザーやドイツのメルクのコンピュータも乗っ取られた。コペンハーゲンに本拠を置く海運コングロマリットのA・P・モラー・マースク。物流大手のフェデックス。あるいは英国の菓子メーカー、キャドバリーがタスマニア島で操業するチョコレート工場のコンピュータも停止した。
サイバー攻撃はブーメランとなってロシアに里帰りし、ロシア最大の国営石油会社ロスネフチと、ふたつの新興財閥(オリガルヒ)が所有する鉄鋼大手エブラズのデータも破壊した。ロシアはNSAから盗まれたコードを使って、マルウェアを世界中にまき散らした。
この時、世界を襲ったサイバー攻撃の被害は、メルクとフェデックスだけで一〇億ドルに及んだという。
一度の攻撃で、被害額は100億ドル超
二〇一九年に私がキーウを訪れた時にはすでに、そのたった一回の攻撃がもたらした被害額は一〇〇億ドルを超え、さらに増えるものと思われた。輸送や鉄道システムはいまだ本来の稼働率を回復していなかった。
ウクライナ全土で配送追跡システムがダウンしたことから、追跡不能になった荷物を市民はいまも捜していた。年金の小切手も配布されず、未払いのまま。誰がいくら融資を受けたのかという金融機関の記録も、きれいさっぱり消えてしまった。