鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が亡くなった後、幕府はどのように政治を動かしていたのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、2代将軍・頼家と、13人の有力御家人による権力争いが描かれているが、これは史実と異なる」という――。
「13人の家臣が集まり、日本で初の合議制をした」は本当か
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第27回「鎌倉殿と十三人」(7月17日放送)で、主人公・北条義時をはじめとする御家人13人が集結し、2代将軍・源頼家に「13名でございます」と紹介した。これに対し、頼家は自らの側近衆を紹介。義時らが形成した「13人」を牽制する挙に出た。頼家と有力御家人たちの利害が対立する様子を描いている。
脚本を担当した三谷幸喜さんは、ドラマのPRで作品の意図を次のように書いている。
「『鎌倉殿』とは、鎌倉幕府の将軍のことです。頼朝が死んだあと、2代目の将軍・頼家という若者がおりまして、この頼家が2代目ということもあって、『おやじを超えるぞ!』と力が入りすぎて暴走してしまう。それを止めるために、13人の家臣たちが集まって、これからは合議制で全てを進めよう、と取り決めます。これが、日本の歴史上、初めて合議制で政治が動いたという瞬間で、まさに僕好みの設定です」
鎌倉幕府内の13人の有力御家人(これが、「鎌倉殿の13人」)が、頼家を牽制するために、皆で寄り集まって、会議をし、政治を進めていく。これが、いわゆる「十三人の合議制」なるものだ。
しかし、この合議制は存在しなかったというのが私の考えだ。
13人の御家人のメンバー
本題に入る前に、13人の有力者は誰なのかを簡単に触れておきたい。
整理してみると、京下りの官人(大江、中原、二階堂、三善)、頼朝と近しい、もしくは縁戚にある武士(時政、義時、比企、安達)、その他、豪族(梶原、足立、八田、三浦、和田)となるであろう。