宗教団体が恐れる「宗教排除の成功モデル」

われわれ一般庶民の感覚では、「まったく問題ないじゃん、他のちゃんとした宗教団体からすれば、カルトがいなくなったと大喜びするんじゃないの?」と思うだろう。

しかし、宗教団体からすると、これはちっとも喜ばしいことではなく、むしろ強固に反対して自民党に思いとどまらせる可能性が高い。

世間を震撼させる事件やマスコミ報道という「条件」さえ揃えば、政治が恣意的に宗教を「社会悪」とジャッジするという前例ができると、自分たちにもそれが適用される恐れがあるからだ。

どんな宗教でも信者やその家族、あるいは脱会した人の間に「トラブル」は起きる。今回の旧統一教会ほど極端なケースではなくとも、信仰にのめり込むあまり、家族が崩壊するなんて話はそれほど珍しくないので、さまざまな宗教には「被害者」という人たちが存在する。

つまり、宗教の評価というのは見る人によってまちまちなのだ。シンパの人には「ちゃんとした宗教」に見えても、被害者からすれば「カルト宗教」「霊感商法」に見えることもある。

この「あやふやさ」によって、宗教団体は政治に介入することができた。

宗教 VS 政治
写真=iStock.com/jswinborne
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しかし、山上容疑者の事件によって、政治との関係や、献金トラブルが注目されてその結果、旧統一教会が「排除」されるということになれば、この大原則が崩壊する。つまり、世間を震撼させる大事件を起こして社会に問題提起すれば、「悪い宗教」だと政治に認定させて、社会的制裁を与えられるという「宗教排除の成功モデル」ができてしまうのだ。

「俺も山上容疑者と同じことをやれば…」

例えば、自民党と関係の深い宗教団体に対して、強い恨みを持つ男性がいたとしよう。彼も今回の山上容疑者のように家庭を崩壊させられた過去を持つ。

そんな男性が、もし今回の事件で自民党が旧統一教会と絶縁したと聞いたら、こう思うのではないか。

「なんだよ、じゃあ俺も山上容疑者と同じことをやれば、あの教団にダメージを与えられるってことじゃん」

おそらく、男性はこの宗教団体から支援を受けているような自民党議員を狙う。大きな事件を起こせば起こすほど、マスコミは朝から晩まで報じてくれるので、もっと過激な手口で犯行に及ぶかもしれない。

「そんなバカなことを考える人間はいない」と思うかもしれないが、海外では、無差殺人のような「拡大自殺」をする者たちの多くは、衝撃的な事件を起こすことで自分の主義主張を世に知らしめているというような指摘が多い。

だから、アメリカでは、無差別殺傷事件が起きると、模倣犯を生まないように、犯人がどんな人柄で、どんな思想をもっていたのかを過剰に報じないようにマスコミに求める「No Notoriety(悪名を広めるな)」という団体もあるのだ。そのことはプレジデントオンラインで、<「無差別襲撃が相次ぐのはメディアの責任である」犯人にわざわざ手口を教えるマスコミの罪>として書いたので、参照してほしい。