老害と呼ばれる人の特徴
そうして、いつのまにか、若い人を前に昔話で説教するような自分になっているのです。もちろん、50歳、60歳になっても新しいことにチャレンジしたり、柔軟な発想をしたりする人は少数ながら存在します。そういう人たちには「昔話をしない」という特徴があります。
トピックがつねに「現在」や「未来」に向いているのです。
でも、たいていの人はそうはなりません。なぜなら、「経験」が邪魔をするからです。
「私は20歳から40歳までの20年間、これだけのことを積み上げてきた」という自負もあるでしょう。
それをゼロから見直したり、信じているものを壊すことは、相当な労力がかかります。それよりは、「過去」の自慢話をするほうがラクだし、気持ちいいものですが、そういう人は、「老害」へと変貌していきます。
「過去」の話ばかりして、頭が「現在」や「未来」に向いていないことに気づかなくなってしまうのです。
老害の厄介なところは、自分が老害であることに気づかないことです。
こんなことをいってきた僕だって、わかりません。自戒の意味も込めて、昔話をすることによる弊害に自覚的になることをすすめておきたいです。
説得することにはまったく意味がない
相手に欠点を直してもらいたいときや、職場などで和を乱す行為をなくしてほしいときなど、誰かを説得したいと思う機会があるかもしれません。でも、説得するという行為は意味がないと僕は思います。
説得するというのは、「説得で相手の考え方を変えられる」ことが前提になりますが、相手の考え方を変えることはできません。表面上はわかったようでいても、「そういわれても、信じられないな」などと思われて、腹の底から「納得」させることは、なかなか難しいことです。
職場の先輩の、周囲と協調しない態度を改めてもらいたいと思っても、もし後輩に説得されて改めるぐらいなら、最初からとっくに改めているはずですよね。
相手の人がちゃんと論理的に考えることができ、物事を好き嫌いではなく正しさで判断できるのであれば、説得によって変わる可能性はあります。でも、そういう人は、僕の経験では10%いるかどうかです。