リベラル派からはプーチンの犬と揶揄され、ロシアの安全保障当局からは、アメリカに擦り寄ったと疑念の目で見られて、近年のメドベージェフは孤立していた。だから余計に、プーチンの厚意にすがるしかなくなっていた。「メドベージェフはロシアの政治エリートで、最も立場が弱い1人だ」とスタノバヤは語る。

メドベージェフは6月のテレグラムへの投稿で、最近極端な愛国主義を唱えるようになった理由を説明した。「あいつらのことが憎いからだ。連中はろくでなしのクズだ」。この「連中」とはウクライナのことらしい。「私の命ある限り、あいつらを消滅させるために何でもする」

メドベージェフが大統領に就任したのは08年、プーチンが当時の憲法が定める大統領の任期上限に達して、ひとまずその座を降りなければならなくなったときだ。それはロシア国内にも欧米諸国にも、大きな希望を生み出した。

なにしろメドベージェフは、プーチンをはじめ過去のロシア(とソ連)の政治指導者たちとは大きく違っていた。

大学を卒業したのはベルリンの壁崩壊の数年前で、ソ連の政治に染まっていなかった。ロシアの「弱い民主主義」と「非効率な経済」は問題だと語るなど、言うことは言う。そしてテクノロジーが世界を変えるという当時の楽観論に同調しているように見えた。

そんな若きロシア大統領にチャンスを感じ取ったアメリカのバラク・オバマ大統領は、米ロ関係の「リセット」を目指して、就任1年目の09年にモスクワを訪問。ロシア経済学院の卒業式に出席して、「(ロシアとアメリカは)一緒に、人々が守られ繁栄が拡大し、われわれのパワーが真の進歩のためになる世界を築くことができる」と演説した。

だが、欧米諸国にこうした希望を抱かせることになったメドベージェフの特質が、ロシア政界では、保守派の愚弄と疑念を招く原因となった。

11年には、メドベージェフが大学の同窓会で、1990年代のロシアのヒット曲「アメリカン・ボーイ」に合わせて踊る動画がリークされ、ネット上で瞬く間に広がった。

「プーチン後」はどうなる

だがやがて、メドベージェフはプーチンが憲法上、大統領に復帰できるようになるまでの間、その席を温めておく存在にすぎず、首相であるプーチンの意向のままに動いていることが明らかになった。

ウィキリークスに流出した2010年の外交公電によると、駐ロシアのアメリカ大使は、2人の関係を「二頭政治のフォーマット」だと表現した。メドベージェフは11年に、大統領として再選を狙う可能性を一瞬ほのめかしたが、すぐに身を引いてプーチンに大統領復帰の道を開いた。