青のあじさい寺をつくった52歳副住職はどんな人物か

斬新なアイデアが次々と具現化しているのは、古仲副住職の情熱と行動力があってこそだ。雲昌寺に生まれた古仲さんは高校を卒業後に上京。曹洞宗の宗門大学である駒澤大学に学び、卒業後は総本山永平寺に修行に入る。

学生時代はある企業からのスカウトもあったが「仏飯で育てられた恩に報いたい」と故郷に戻ることを決意。それが、オウム真理教事件が起きた1995年のことだった。

その頃の雲昌寺は、一家を養うのが精一杯の経済力だった。それどころか、年々檀家は減っていく一方。このままでは古仲さんが寺を継いだとしても、いずれは護持ができなくなってしまう。古仲さんの次の世代には、無住寺院になってしまうことが危ぶまれるような状態だ。

男鹿市にある曹洞宗寺院は20カ寺。うち2つの寺が無住だ。その2カ寺とも雲昌寺が兼務している。兼務する側の雲昌寺ですら、あじさいで有名になった今でも檀家離れに歯止めがかかっていない。

写真提供=雲昌寺
   

青のあじさいで境内を埋め尽くす計画は、古仲さんの寺の存続をかけた起死回生の試みだったといえる。2002年以降、境内に1株1株、地道に株分けしていく作業が続いた。

その苦労は尋常ではなかっただろうと推測する。

「植物の作業なので時期ごとにする作業が決まっているのですが、その時期たまたま檀家務が忙しく、日中時間が取れないときなどは夜中の3時くらいまでヘッドライトをつけて一人作業していました。土壌の悪いところの土を入れ替える作業では、重機が入れない場所は4トントラック1台分の土を一輪車とバケツで運んだりしました。それでも夢を描いてやっていたので、苦労したとは思っていませんでした。むしろ、人が集まり出した今が一番、大変かもしれません。あじさいによって地元経済を回し始めたのは確かですが、別のところで迷惑をかけているのも事実です」