※本稿は、岸本聡子『水道、再び公営化!』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
※本文中の役職名は当時のものです。
水道民営化を宣言した麻生元副総理
ある日、アムステルダムのオフィスでパソコンを立ちあげると、日本の友人からのメールが目にとまった。
タイトルには「麻生の水道民営化発言」とあり、この動画を見てくださいと書いてある。リンクをひらくと通訳とともに、麻生太郎副総理の姿が映し出された。
「水道というものは、世界中ほとんどの国ではプライベートの会社が水道を運営しておられますが、日本では自治省(自治体)以外ではこの水道を扱うことはできません」「(日本では)水道はすべて国営もしくは市営・町営でできていて、こういったものをすべて民営化します」
私は意表をつかれて、パソコンの画面を見守った。訪米中だった麻生太郎副総理・財務大臣が、ワシントンの民間シンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)で日本の水道民営化を高らかに宣言していたのだ。
水道の民営化がもたらす問題を専門にしていながら、あのとき「あっ」と私が声をあげてしまったのは、今、振りかえっても無理はなかったと思う。
この発言は民主主義への冒涜に他ならなかった
というのも二〇一三年四月のあの段階で、「日本国内の水道をすべて民営化する」というような方針は、国会でなんの議論もされていなかった。しかもこの発言には数多くの事実誤認がふくまれていた(「自治省」と「自治体」の言い間違いもそのひとつだ)。
もちろん、公共サービスを民営化する機運は高まっていたが、日本の副総理が海外に向けて、上水道の民営化をあたかも政府の既定路線であるかのように発言するというのは許しがたいことだった。
水は人々の権利だ。誰もが生きていくために必要とする水について考えることは、民主主義のもっとも重要なポイントだと私は考えている。ところが、日本の国民が公の場で議論を本格的に始める前に、アメリカの首都で日本の水道の民営化を既定路線であるかのように一国の重要閣僚が言明したのは、民主主義への冒涜でしかない。
ちょうどそのころ、私が在住する欧州では、市民のあいだで水への権利についての議論が深まり、再公営化を勝ち取るプロセスが加速しようとしていた。これぞ、民主主義だと思いいたった時期に、それとはまったく違う、非民主主義的な会見を見せられてしまったのだ。