つい口に出てしまう「お薬を調整しておきましょう」

医師にとってはその日の50分の1の相手だとしても、患者にとって主治医は一人だ。

しかも、2~4週間という期間待ちつづけ、期待を膨らませて診察にたどり着いている。それなのに、こちらが平均的な再診患者に割くことのできるのは5~10分だ。患者が抱えている問題の多くは未解決のまま先送りとなる。

そんなとき、今日のところは矛を収めてもらおう、いったん兵を引いてもらおうとして、つい口に出てしまう言葉が、「お薬を調整しておきましょう」なのだ。たとえるならばそれは、激しい連打に耐えかねたボクサーが反射的にしてしまうクリンチに似ている。

断言できることがある。おそらく私は薬をいっさい処方しない精神科医にはなれない。もちろん、できるだけ無駄な処方は避けるべきだと思っているし、そもそも、薬物依存症治療が専門である以上、患者に薬を出すよりも薬をやめさせることのほうが多い。

しかしそれでもやはり、まったく薬を使わないことはできないと感じているのだ。なぜか。

ここからはじめよう。処方薬の話だ。

“薬物依存”の半数は処方薬に対する依存が占めている

精神科医としてどんな患者が一番好きかと問われたら、私は迷うことなく「覚せい剤依存症」と答えるだろう。

決して犯罪行為を肯定するつもりはないが、法の一線を越えた彼らには、アルコールや処方薬、市販薬の依存症患者にはない独特の潔さ、すがすがしさがある。

およそ10年前、私は、「覚せい剤依存症?」と表情を曇らせる病院幹部の懸念をよそに、現在の所属施設で薬物依存症専門外来を開設した。その理由は、まさに「思う存分、大好きな覚せい剤依存症患者を診たい」との思いからだった。

しかし、実際に診療を始めると、いささか期待外れな事態に直面した。というのも、たしかに多くの覚せい剤依存症患者が受診してくれたものの、それは全体の半分にすぎなかったからだ。

残りの半分は、処方薬(その大半は、エチゾラムやフルニトラゼパム、トリアゾラム、ゾルピデムといった、ベンゾジアゼピン受容体作動薬として分類される睡眠薬や抗不安薬だ。ここでは略して「ベンゾ」と呼んでおきたい)の依存症患者だった。

当時、ベンゾ依存症患者は薬物依存症外来の新興勢力であり、「わが国伝統の乱用薬物」である覚せい剤の依存症患者と比べると、さまざまな点で違っていた。

たとえば、学歴が高く、犯罪歴を持つ者が少ないなど、一般の人と変わらない生活背景を持ち、何よりも、薬物依存症とは別に、うつ病や不安障害といった精神障害を併存する者がとても多かった。

もっとも注目すべき特徴は、依存形成の心理機制(*)だった。

(*)編集部註:受け入れがたい状況になった場合に、そのことによるストレスを軽減しようとする無意識的な心理メカニズム。