なぜ侮辱された審判は“高圧的”な態度をとるのか
ここまで述べてきたのは筆者の経験から、プロ野球審判の立場で考えたときの目線である。理由はどうあれ、けんか腰の注意なんてとんでもないという意見もあるだろう。一般の野球ファンの目線から批判が多かったことも十分に理解しているし、スポーツの現場における乱暴な言動、パワハラのようなものに対する考え方も昔とは大きく変わってきている。その意味では、時代にマッチしていない対応だったと言える。その点は改めていくべき課題だろう。
しかし、そもそもなぜ選手や監督は審判を侮辱してはならないのか。なぜ侮辱された審判は選手や監督に対して強い態度をとるのか。審判が高圧的だという批判を受けるとき、多くの場合は理由があって、そう見える態度を意図的にとっているケースがほとんどだ。その背景にある思想がもっと知られてほしいというのも、今回の一連の出来事を見ていて感じたことだ。
審判は裏方ではなく、グラウンド上の第三のチーム
審判員は裏方だ、目立ってはいけない存在だとよく言われる。だが、その考え方は間違っている。
たしかに、審判の立場から言っても、審判が目立つ試合はトラブルの多い試合であり、最初から最後まで審判の存在が感じられないような試合を作ることは、ひとつの理想ではある。しかし、それは審判をうまくやってのけるための心構えのようなものであって、審判員を公然と裏方扱いするのは野球規則の精神に反する。
野球は、囲いのある競技場で、監督が指揮する9人のプレーヤーから成る二つのチームの間で、1人ないし数人の審判員の権限のもとに、本規則に従って行われる競技である。
ここでは、野球は2つのチームと審判員の三者で行うものだと明記されている。MLBで2012年のワールドシリーズに選ばれた審判クルーを追うドキュメンタリー番組が製作されたことがあるが、その題名は『THE THIRD TEAM(第三のチーム)』だった。これは審判員が野球の試合に欠くべからざるピースの一部なのだということを物語る好例だと思う。
(a)リーグ会長は、1名以上の審判員を指名して、各リーグの選手権試合を主宰させる。審判員は本公認野球規則に基づいて、試合を主宰するとともに、試合中、競技場における規律と秩序とを維持する責にも任ずる。
審判員はリーグ会長の代理として試合を主宰する者であると規定されている。プレーヤーは審判の指示によって試合を進行するのだから、審判こそが試合の中心とも言えるのだが、もちろん、それは理屈であって、審判の側でも自身が主役ではないことは重々承知している。主役はあくまでも実際にプレーする選手だ。
試合の進行はジャッジによって行われる。球審が「プレイ」を宣告し、投手が第一球を投じる。球審は一球一球に「ストライク」または「ボール」を宣告し、打者が出塁して走者になれば「アウト」または「セーフ」を宣告する。飛球が上がれば捕球か否か、打球が「フェア」か「ファウル」か、選手同士がぶつかったらどちらの妨害か……ありとあらゆることをジャッジし、いちいち宣告する。これほど審判がワンプレーごとにしゃしゃり出てくるスポーツがあるだろうか。