排除される側の視点で見る街の景色

屋根の存在に注目すると、高架の首都高が目の前を走っている。その下は一部、駐輪場になっているが、空きスペースは大きな屋根付きの居場所になるだろう。ただ、以前、近くの高架下にホームレスがマットレスなどを持ち込み、住み着いたことで、トラブルが起き、一部封鎖されたらしい(谷川一球「渋谷ホームレス殺人事件。46歳容疑者の地元での評判」「日刊SPA!」2020年12月4日)。

なるほど、現場付近でも高架下に入れないようフェンスが張りめぐらされた箇所があった。また前述した細長い公園の途中に、実はデザインされた新しい公衆トイレがあり、室内も清潔でかなり広い。が、トイレを占拠することまでは考えなかったのだろう。

ちなみに、幡ヶ谷原町は、笹塚駅からひとつ目のバス停である。駅に直結するバス停は、さすがに乗降客が多い。しかし、その隣のバス停は利用者が少ないことから、あまり迷惑をかけない居場所として選んだのだろうか。

このように書いていくと、幡ヶ谷のエリアがひどい街のように思われるかもしれない。だが、これは決してめずらしい風景ではないはずだ。あなたが住む街も、いつもと視点を変えて、周辺の環境を観察して欲しい。排除される側の想像力を共有したとき、日常の風景は大きく違って見えるはずだ。

ホームレスを「見えないもの」にする排除アート

世間の注目を集めた事件が起きたことによって、排除ベンチ、あるいは排除アートが増えているというニュースが散見された。後者はベンチの形状ではない立体物であり、路上もしくは公共空間において特定の機能をもたない、アート作品らしきものが、その場所を占拠することによって、ホームレスが滞在できないようにするものだ。筆者は「排除アート」と呼ぶことは適切ではないと考えるが、すでに排除アートという名称で広く使われているので、とりあえず、この名前を使って論を進めたい。

排除アートがホームレスをターゲットにしていることは、しばしば指摘される。例えば、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの大西連理事長は、排除アートは「ホームレスの人が居づらい環境や空気を醸すツールになっています」という(「朝日新聞」2020年12月14日)。

このコメントを掲載した記事は、こう指摘している。ホームレスが減ったように見えるが、「『排除アート』の普及によって街中で野宿しにくい環境がつくられたことも一因だと大西さんは見る。『野宿者を街で見かける機会は減りましたが、困窮者が不可視化されたと捉えるべきでしょう』」。