ある日突然、4630万円が振り込まれていたら…
不穏な事件が、ここ最近の日本では相次いでいる。
自治体から誤って送金されたコロナ給付金4630万円を24歳の男性が返金せずそのまま持ち去る事件が5月に発生した。男性はオンラインカジノで全て使ったと話しているという。この事件は世間を大きく騒がせ、連日ニュースやワイドショーで報道された。
ある日突然、身に覚えのない4630万円が振り込まれていたら、私であれば恐ろしくなってすぐに振込者に問い合わせて返還してしまうだろうが、しかし彼はそうではなかった。誤って振り込んでしまった役所からの返還請求をあれこれ言い訳をつけて間延びさせ、その間にほぼ全額を引き出してどこかに持ち去ってしまったのである。
「4630万円事件」の興奮が冷めやらぬうちに、今度は東京国税局の職員が同じくコロナ対策の給付金およそ2億円を、複数人のグループと共謀してだまし取ったとされる事件が明らかになった。こちらの事件も、本来ならば不正を見抜くべき側の人間が、徒党を組んで不正を働いていたことで、世間に大きな衝撃を与えた。
「正論」が説得力を失いつつある
世間では相次いで発生した若者たちによるあまりに「大胆」な犯行について、どよめきの声があがっていた。
「4630万円程度、人生を棒にふるような金額かね?」
「仲間と共謀して2億程度の金をだまし取ったって、どうせ一生は暮らせない」
「まともに働けばもっと稼げるのに」
といった意見もあった。たしかにそのとおりだ。大金を不正に詐取して持ち逃げするその度胸や行動力をもってすれば、実社会でサバイブしていくことはよほど容易いように思える。力の使いどころを間違っているようにしか思えない。
……だが、一見して至極まっとうに見えるこうした「正論」がいま、じわじわと「説得力」を失いつつあるように思う。
ある年代・ある境遇の者からすれば、一瞬で大金をつかみ取りできるようなチャンスやアイデアが――たとえそれがイリーガルなものであろうが――巡ってきたときに、それをみすみす手放すという選択肢を検討しにくくなっている。「今後の人生で自分の口座残高に『¥46,300,000』という数字が表示される日がやってくる可能性がはたしてどれくらいあるか」を考えたとき、その実現可能性にリアリティを感じなくなってしまっているのだ。
コロナ給付金を詐取した者たちは、大金を不正な手段で入手することで代償として失ってしまうものがなんであるかが想像できないほどの愚か者たちだったのか。想像はしたものの、それが自分にとっては「取るに足らないもの」だと判断したうえ実行したのか。
……私には後者に思えた。