サラリーマン根性が「軽視」に繋がってしまう
これらの不正は、経営者が「おい、しっかり改ざんしておけよ」なんて指示をされるわけではなく、製造部門や品質検査部門の現場判断でおこなわれることが圧倒的に多い。過度なノルマで追いつめられているうちに、「誰よりも現場を知る我々が品質に問題ないと判断したのだからいいだろ」と国の基準などを無視して、自分たちの都合のいいルールを定着させていく。外部の目が行き届かないムラ社会ゆえ一度モラルが壊れたら、そっちが「常識」にとって代わるのだ。
筆者も報道対策アドバイザーとして、「モラルハザード組織」の内情を目の当たりにすることが少なくない。そのような経験から言わせていただくと、「遺族トラブル」が続発するマスコミからも同じ匂いが漂っている。
今回、遺族を裏切ったNHK記者も、望月記者もジャーナリストである前に、会社から勤務査定をされる「サラリーマン」という顔も持っている。成果が欲しい。会社からの評価が欲しい――。そんな企業人として当たり前に持っている「功名心」が暴走して、取材対象であるご遺族の「軽視」に繋がってしまったではないか。
「弱者に寄り添い日々、権力と戦っているマスコミ記者がそんな“社畜”のようになるだろうか」とにわかに信じられないという人もいるだろう。
だた、そう考えるのは島国の我々だけであって、世界のジャーナリストから見ればそんなに驚くような話ではない。かねてから日本の「Kisha club」にはジャーナリストのモラルを低下させるある問題が指摘され続けているからだ。
アメリカでは「邪道」とされるアクセスジャーナリズム
その問題とは、「アクセスジャーナリズム」だ。
これは、記者が権力側に媚を売って気に入られることで、情報をリークしてもらう取材手法で、アメリカなどでは「邪道」とされているのだが、日本の記者クラブでは極めてオーソドックスなスタイルだ。例えば、日経新聞で編集委員などを歴任されたジャーナリストの牧野洋氏もこの問題を指摘している。
《権力側との「アクセス(接近)」を重視するあまり、ジャーナリズムに欠かせない批判精神を失ってしまう――これがアクセスジャーナリズムの本質である。日本では司法記者クラブを筆頭に権力側に配置された記者クラブがアクセスジャーナリズムの一大拠点として機能している」》(「政治家とマスコミがズブズブのままでいいのか」日本の常識は海外の非常識と断言できるワケ プレジデントオンライン21年10月6日)
なぜ記者クラブがアクセスジャーナリストの「メッカ」になってしまうのかというと、クラブ記者たちのルーティンワークを見ればよくわかる。