実名で主義主張できない日本のマスコミ記者

クラブ記者と官僚の蜜月関係というのは、その記者個人が構築したものではなく、先輩記者から代々と受け継いできた、いわば、「取引先」の関係なのだ。それが現場社員の「非礼」で壊されるなんてことは、会社としても避けなくてはいけない。だから、官僚とうまく付き合えないクラブ記者は、「あいつ、使えねえなあ」と閑職へ飛ばされてしまう。

記者クラブがアクセスジャーナリズムの温床となることがわかっていただけたと思うが、それに拍車をかけるのが、世界のジャーナリストの常識とかけ離れた日本のクラブ記者たちの「社畜感」だ。

2017年6月、国連人権理事会で「表現の自由の促進」の特別報告者であるデービッド・ケイ氏が、日本の政治ジャーナリズムの問題点を調査して発表したのだが、その際にケイ氏がショックを受ける奇妙な現象が起きた。「調査した記者たちが『匿名』を希望したことだ」(朝日新聞2017年8月22日)という。

世界では会社に属するジャーナリストでも、自分の名前で堂々と主義主張をするのが当たり前だ。しかし、日本のマスコミ記者は匿名SNSで有名人を誹謗中傷する人のように、安全地帯から自分の主張をする。

記者クラブ批判=自社批判というブーメラン

日本のマスコミは「安倍政権の恐怖政治のせいだ」なんて苦しい言い訳をしたが、ジャーナリストは投獄も暗殺もされない。にもかかわらず、マスコミ記者が身元を明らかにして、意見を言えない理由は一つしかない。彼らが巨大組織に属する「サラリーマン」だからだ。

日本のジャーナリズムの問題点を指摘するということは、記者クラブ問題への言及は避けられない。しかし、それをやるとブーメランで自社批判にも繋がる。そして何よりも、記者クラブで世話になっている政府や官僚など「情報のお得意様」の機嫌を損ねてしまう恐れもある。同僚や後輩に迷惑がかかってしまうのだ。

日本のマスコミ記者の多くは、権力の不正を追及するジャーナリストである以前に、せっかく入社した大企業に定年退職まで勤め上げようとするサラリーマンだ。そんな安定志向の強い人々に、記者クラブ制度の問題を指摘するなんてことは酷な話である。