※本稿は、小泉悠『ロシア点描』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
権力の虜になるプーチン
プーチン大統領が大変な愛国者であることは疑いないでしょう。プーチンが尊敬する歴史上の人物として挙げるのは、ピョートル大帝とストルィピン(ロシア帝国時代の首相)です。どちらもロシアの近代化に尽力したリーダーであり、ここに自らを重ねることは不自然ではありません。
同時に、ピョートルもストルィピンも「上からの近代化」主義者であり、自らの考える「ロシアのためになること」に逆らうものは容赦なく弾圧しました。どうもプーチンの愛国心はこういう方向に発揮されてしまっているのではないでしょうか。
プーチンが大統領に就任したとき、ロシアはガタガタの状態でした。経済も政治も混乱し、公共部門は腐敗し、医療も治安も崩壊状態にありました。
1990年代のロシアでは警官が市民に何かと難癖をつけてカネをゆするなんていうことが日常茶飯事でしたし、病院にかかるのも大学に入るのもカネ次第というのが「常識」でした。うちの娘は2010年にモスクワで生まれたのですが、やっぱり病院の医師から賄賂を要求されて幾らか払った記憶があります。
法律の一時停止と外出禁止令でロシアを立て直す
こうした状態にある祖国を前にして、プーチンは「戒厳司令官」として自らを規定したのだ、というのが私の考えです。非常事態において戒厳令が敷かれると、一時的に平時の法律は停止され、私有財産が接収されたり、外出禁止令が出されたりします。こういう方法でプーチンはロシアを立て直そうとしたのではないでしょうか。
実際、プーチン大統領は政権に逆らう大富豪(オリガルヒ)を粛清して経済やメディアに対する国家統制を強め、チェチェンの分離独立主義者を軍事力で鎮圧していきました。こうして、モスクワの意向がロシアの全土・全社会に反映される秩序(垂直的権力構造)を回復しようとしたのです。
さらにこの間、ロシア経済は未曾有の好景気を経験し、国民の生活も目に見えて改善しましたから、プーチンは一時期「名君」扱いでした。もともとロシア人は強いリーダーが好きですし、強権的な統治手法も、一部のリベラル派を除けば「必要悪」として許容してきました。