英語では民族主義と国家主義はナショナリズムの一語で表現されているが、一般的にナショナルアイデンティティは他国家、他民族への対抗意識から生まれるものだ。その意味で民族や国家は対外的な概念とされている。しかし、その内側に目を向ければ矛盾に満ちている。

学問的な議論は色々あるのだろうが、それでは説明できない矛盾が民族にはある。民族は、学者たちが研究し、議論し、論文を書いて捉えられるようなものではあるまい。これまでの民族主義は型に嵌まりすぎていたのではないか。学者がどれだけ一生懸命に民族という鋳型をこしらえようが、矛盾に満ちた人間がそんな鋳型にすっぽり嵌まることはない。冒頭の言葉は民族という鋳型のひび割れから出てきたものではないか。

戦地にいる人々は語勢と目の輝きが違った

ならば我々は民族をどう考えたらいいのか。その上である民族主義者のことを思い出す。

私は1970年代初めに冷戦下のチェコスロバキアで開かれた青年交流事業に参加した。旧ソ連、中国、東南アジア、アフリカ諸国の青年たちが集まり議論した。旧ソ連と中国の青年は「俺らは革命を達成した偉大な国民だ」と傲慢ごうまんそのものだった。実際マルクス主義の理論水準は高かったが、何の情熱も感じなかった。

一方、東南アジアやアフリカの青年の理論は高水準ではなかった。だが、彼らは論争ではなく独立戦争に生きていた。集会場ではなく戦場にいた。理論ではなく銃火器で武装していた。

ジャングルに潜む軍人
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その中にあるベトナムの女性がいた。彼女は一目見ただけでは小中学生の少女と見間違うような小柄な女性だった。だが、南ベトナム解放戦線の一員で、誰よりも熱心に民族独立を語った。私はその語勢に圧倒された。目の輝きが違うのだ。旧ソ連と中国の秀才も圧倒されていた。まるで相手にならない。それはそうだ。理屈が現実に敵うはずはないからだ。

それから数年後、サイゴン陥落の報に接した。大半の日本人はサイゴンが陥落するなど思っていなかった。しかし北ベトナム軍と南ベトナム解放戦線の兵士たちは雲霞の如くサイゴンに押し寄せた。彼らはきっと、あの目をしていたに違いない。

彼女が生きているのか死んでいるのか、いまとなっては知る術もない。何を話したかさえ定かでない。ただあの目の輝きだけが忘れられない。