首相就任直後から10年間も無差別攻撃を続けた

もっとも、プーチンがこれまでに「殺害してきた人々」はこれだけではない。主な殺人歴を以下に挙げる。

▽第二次チェチェン戦争

プーチンは1999年に首相に就任し、すぐにチェチェンへの侵攻を開始した。その攻撃は一般住民もろとも町村を無差別攻撃するもので、プーチンはそれを10年間も続けた。

この第二次チェチェン戦争での民間人の死者数は、統計した団体ごとにさまざまな推定値がある。4万~5万人という推定が多いが、もっとも少ない推定値は中立的立場の国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調査で、民間人の死者が約2万5000人、さらにおそらく死亡したであろう行方不明者が5000人いるとされている。つまり、少なくとも3万人以上の民間人が殺害されたとみていいだろう。

それに加え、チェチェン独立派の兵士も計1万数千人が戦死したとみられる。つまり、プーチンが命令した戦争により、少なくとも4万数千人以上が殺害されたのだ。

国内外で暗殺されたプーチン批判派は100人超

▽モスクワ「自作自演」連続テロ

旧KGBの後継組織である連邦保安庁(FSB)長官だったプーチンは1999年8月9日に首相代行、同月16日に首相に任命されて実権を握るが、そのわずか半月後の8月31日にモスクワ中心部のショッピングモールで爆弾テロが発生。さらに翌9月半ばにかけてモスクワの集合住宅ほかロシア各地で計5回のテロが起き、計295人が殺害された。

のちに内外の勇敢な記者たちの調査により、これらのテロはチェチェン侵攻の口実とするためにプーチンがFSBに命じてやらせた可能性がきわめて高いとされている。つまり自作自演テロで、プーチンはロシア人同胞を含む無関係の民間人295人を殺戮したと考えられるのだ。

▽反対派の暗殺

プーチン政権発足以降、反対派の新興財閥(オリガルヒ)、政治家、記者らの殺害・殺害未遂および不審死があとを絶たない。こうしたプーチン批判派で、ロシア国内で殺害された人数は数十人になる。記者以外の人物、さらにロシア国外にいた人物の殺害まで含めると、おそらく100人を超える人数になるだろう。

また、軍用神経剤「ノビチョク」で暗殺未遂に遭った民主化運動指導者のアレクセイ・ナワリヌイ(2020年)や元情報機関員セルゲイ・スクリパリ(2018年)のように、殺害されないまでも暗殺未遂に遭った人数を含めると、その数はさらに何倍にも膨れ上がるだろう。