二重盲検法は「被験者を実験動物のように扱うやり方」

これとは対照的に、我が国の厚労省は、いまだに頑として鍼灸を健康保険の対象とすることを認めず、このため我が国の鍼灸師の多くは経済的に苦しんでいる。

厚労省の言い分は、「健康保険を適用してほしいなら、欧米のような大規模の二重盲検テストを行え」の一点張りのようである。

我が国では、この二重盲検法の被験者が30人を超えたことがなく、もっと多人数で実施を計画しても、途中で計画が空中分解してしまうという。つまりこの方法は、我が国の人々にとって倫理的に抵抗があるように思われる。

ジェンナーが牛痘接種の際、他人の子どもを生命の危険にさらした行為を嫌い、これを自分の子どもであったとして美談に作り替えた我が国の倫理観では、二重盲検法を行う医師は、自分を信頼する被験者を実験動物のように扱っているように感じ、抵抗を覚えるのであろう。

我が国ではこのような理由で、鍼灸効果の二重盲検テスト実施が不可能なため、鍼灸師たちは約10年前、欧米の鍼灸研究者を招待して大規模な学術会議を開催するとともに、欧米での鍼灸効果に関する大規模二重盲検テストの報告書を翻訳して広く配布し、我が国でも欧米諸国と同様に、鍼灸が健康保険の対象となるよう訴えた。

しかし厚労省はこの訴えを拒否し、現在に至っている。

厚労省は感染症への備えをことごとく怠ってきた

すでに述べたように、我が国の厚労省はもっぱら医薬、治療法などの許認可を行い、我が国の国民の健康の増進のための、民間製薬会社、民間研究機関などでの研究に対する定常的な援助を行うことを怠ってきた。また、新興の感染症が我が国に波及した際に、国民の健康ばかりか社会活動を破壊する危険性に対して備えることも怠ってきた。

我が国の衆参議員の選挙が小選挙区制になってから、政治家が選挙民の票を集めるには、目先の事柄を取り上げて訴えなければならなくなり、この結果「大所高所」からの意見を述べる政治家が激減した。いつ起こるかわからない感染症の我が国への襲来などを訴えても、票には結びつかない。

本来であれば、我が国の政府こそ、将来の感染症の流行に備えておく責任があったのである。現に新型コロナウイルス感染症以前にも、何度か感染症が我が国に襲来する危機があったが、幸い我が国の被害は軽微であった。しかし、それだから一層、来るべき感染症の我が国への侵入に対する備えを周到に行う必要があった。

しかし厚労省はまたしても何もしなかったのである。この度し難い体質は、昔、北里柴三郎を伝染病研究所から追放する東京帝国大学教授たちの暴挙に唯々諾々と従った、当時の厚生省の無定見の帰結であった。こうして我が国は、ワクチン製造に関して、世界周知の「周回遅れの国」となったのである。