ほんの1カ月前まで、ブチャは緑豊かな郊外住宅地だった。治安はよく、あちこちに公園がある。首都キーウ(キエフ)に近いので、庭付きの家に住みたい若くて裕福なファミリーが集まっていた。
だが4月2日の土曜日、この町を奪還したウクライナ軍の兵士が目にしたのは道路に放置された遺体の山。後ろ手に縛られたものもあった。その場で処刑されたに違いない。市長のアナトリイ・フェドルクは米紙ワシントン・ポストに、2つの集団墓地に270人ほどを埋めたと語っている。添えられた写真には、黒い遺体袋や地面から突き出た遺体の一部が写っていた。
キーウの北西に位置するブチャでは、侵攻が始まってすぐ激しい戦闘が行われた。だがロシア軍は激しい抵抗に遭い、少なくとも当座は首都の攻略を断念し、撤退した。市内の目抜き通りには、待ち受けていたウクライナ軍の反撃で破壊されたロシア軍戦車の残骸が散乱している。
「第2次大戦の映画で見るような光景だった」。4月3、4日にブチャを視察したウクライナ国会のキラ・ルディク議員はそう言った。破壊され、わずかに庭のフェンスだけが残った家があった。そこで彼女は、「私たちは平和な人間です」という手書きの看板を見つけた。攻撃するなとロシア兵に呼び掛けるメッセージだったのだろうが、残念ながら「役に立たなかった」。
ブチャで発覚したのは「氷山の一角」
キーウを含む北部戦線から撤収したロシア軍はウクライナ東部に転戦するようだ。しかし、彼らの去った後に残された凄惨な状況はロシア軍による蛮行の証しだ。
しかも人権団体などによれば、ブチャの惨状はまだ「始まり」にすぎない。他のウクライナ地域でも、侵攻したロシア軍による残虐行為が続々と明るみに出ている。
そしてロシアにこの戦争をやめさせるため、ウクライナの同盟諸国がもっと強力な対応をすべきだという声が高まっている。4日にイギリスのエリザベス・トラス外相との共同記者会見に臨んだウクライナのドミトロ・クレバ外相は、ブチャで発覚した残虐行為はウクライナでロシア軍が犯した戦争犯罪の「氷山の一角」にすぎないと糾弾した。
アメリカのジョー・バイデン大統領も同日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は戦争犯罪人であり、その罪は法廷で裁かれるべきだという持論を繰り返した。またウクライナ国防省は、最悪の犯罪が行われたときブチャにいたロシア兵の氏名やプロフィールを公表した(ただし客観的な裏付けはない)。