1990年代後半、『週刊プロレス』は40万部を発行し、多くの読者に熱狂的に支持されていた。ほかのプロレス雑誌とはどこが違ったのか。「ほぼ日」特集連載の書籍化『編集とは何か。』(星海社新書)より、元編集長のターザン山本さんのインタビューをお届けする――。(聞き手・構成=ほぼ日刊イトイ新聞・奥野武範)
プロレスの試合中、ヒールがパイプ椅子を振り上げた
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最盛期には40万部を発行していた『週刊プロレス』

——かつて13のプロレス団体を東京ドームに集め、超満員6万人ものファンを動員した「夢の懸け橋」という興行がありました。これは、いち雑誌社であるベースボール・マガジン社の主催でしたが、ターザンさんが編集長をつとめ、最盛期40万部とも言われる発行部数を誇った同社の『週刊プロレス』の存在抜きには語れないものですよね。

【ターザン】ああ! あれは大それたことだよ! だって『少年ジャンプ』も『週刊文春』もできないことを、プロレスというマイナーなジャンルの雑誌がやったわけだからね。狂ってるよ。

——はい、とんでもないことだと思うんですが、当時ターザンさんとしては、あの一大イベントも、週刊誌をつくる延長線上にあったというご認識なんでしょうか。つまり「編集」の先には、あれほどまでに大きな興行も……。

【ターザン】会社がドームを予約しちゃったんだよ。で、予約が取れちゃった。そこで編集長のおまえが責任を持ってやれと押しつけられたのよ!

——ああ(笑)。

【ターザン】サラリーマンだから、社長命令だから、やるしかないもんね。もちろん、話を聞いたときは「そんなのできませんよ? 無理ですよ?」と言いましたよ。絶対ダメですよ、と。そんなことやったら大変なことになりますよ、と。『東スポ』は北向くし、(ライバル誌の)『週刊ゴング』も北向くし、えらいことになりますよ、と。

——でも、やった。なぜなら、やれと言われたから。

【ターザン】プロレスのことをわかってないから、会社も。ただ何十万部も売れて儲かってる『週刊プロレス』ならやれるんじゃないのって。そうやって外堀から埋められて、勝手に盛り上がっちゃったんですよ。大変でしたよ。雑誌社が興行やるなんてどういうつもりだって(ジャイアント)馬場さんにも怒られたし。ただ、各プロレス団体にしてみれば、1試合につき500万ももらえるんならよろこんで出るよね。

「編集とは独裁である」

——なるほど……。では、質問を変えます。ターザンさんは、その数十万部超の雑誌『週刊プロレス』を9年間も率いてらっしゃったわけですけれども。

【ターザン】ええ。

——今から思えば、「編集」って何だと思いますか?

【ターザン】独裁ですよ。

——独裁……編集長の?

【ターザン】そうですよ。編集長の独裁政権ですよ。全権限を与えられた独裁者が、好き勝手なことをやる。それが雑誌であり、編集という仕事ですよ。

——これまでの「編集とは何か。」のいい流れを、最後の最後でひっくり返すのはやめてください(笑)。

『週刊プロレス』じゃなく『週刊ターザン』

【ターザン】すべての誌面を、俺が握っていたんです。表紙、巻頭記事、エッセイ、インタビュー、編集後記……野球で言えば監督で4番でピッチャーで総合マネージャーだったんですよ。つまり『週刊プロレス』じゃなく『週刊ターザン』だったんです。

——はあ……そんな編集長、他にいませんよね。なかなか。