不祥事を起こしても映像はNGで書籍はOKなワケ
と、この辺りまでは映像に関わる立場で考えていたが、私の本業は小説家。この一連の報道が起きる前から、少し不思議に思っていたことがある。
これ以前にも、芸能人や歌手の不祥事、逮捕などで番組降板、上映中止、発売延期、代役で撮り直し、契約打ち切り、というのはしょっちゅうでもないが起きていた。
特にテレビは厳しく、即座に降板となり、その後も長らく出られなくなる。反社会的勢力にいた、大きな事件での前科がある、といった人は、地上波に出演するのは難しい。
しかし書籍や雑誌の場合、殺人犯どころか死刑囚の手記も大手出版社から出るし、反社会的勢力にいた人、今も現役の人の書くものは、一定の人気を持っていたりもする。
盗作、登場人物のプライバシー問題といったものは別にして、作者の前歴や不祥事で書籍が発売延期、中止になることも、全然とはいわないがあまり無い。さすがに逮捕となれば連載打ち切りはされるようだが、既刊の絶版も回収もない。
これを親しい編集者に尋ねてみたところ、このような見解をいただいた。
「犯罪者の手記や死刑囚の告白本は、作品以前に『報道』だから公開、公表できるのでしょう。生々しい目に見える映像や写真と違い、作者の顔が見えない活字の本は、拒否感や忌避感も薄れるのもあるかもしれません。人を殺した瞬間を、映像で見るのと文章で読むのはショックの度合いも違いますよね」
自分自身を失わないために
まるで状況も立場も違えど、コロナで自宅待機を余儀なくされた上、テレビ番組が中止になったときがあった。そのとき私はもちろんさまざまな不安に苛まれつつも、
「大丈夫だ、テレビは出られなくなっても、私には小説がある。コロナに感染しても書けるし、コロナに関係なく私が犯罪者になっても服役者になっても、小説は書ける。真摯に罪と罰と向き合った手記を書けば、どこかの出版社が出してくれる」
みたいなことを考え、平静さと情熱を保つこともできた。
一連の監督や俳優も、謝罪と禊を済ませてから、それでも自分は映像に携わりたい、それでも自分は演じたい、自分にはこれしかない、自分にはこれだけは残った、という職業、仕事そのものに真剣かつ強い執着やよりどころとしての思いがあれば。
多くの物を失っても、自分自身を失うことだけはないだろう。