先ほど、私たちの日常生活には「等身大の自分と正直に向き合う機会」が“ほとんど”存在しないとお伝えしました。しかし、まったくないわけではありません。私たちにもその機会が訪れる時はあります。
それは「悩んだ時」です。
人は悩んでいる時も、見栄を張ることはあります。「自分」という存在を大きく見せたいと思い、悩んでいるけど悩んでいないふりをする、といったことです。
ですが、わざわざ「悩んでいる自分」を大きく見せようとする人はいません。悩んでいる時、人は自分を盛ることができないのです。
悩みは嘘をつかない
たとえば、私はよくマッサージに行くのですが、施術前に必ずマッサージ師の方から「今日はどこが一番お疲れですか?」と聞かれます。マッサージに行ったことがある方にはお馴染みのセリフですよね。
ここで、皆さんに質問です。
この時、嘘をつく方はいらっしゃいますか?
「今日はどこが一番お疲れですか?」と聞かれて、本当は腰が疲れているのに足裏が疲れていると答えたり、背中が張っているだけなのに背骨が折れそうと症状を盛ったりする人はいないですよね。
なぜなら、疲れている症状を変に盛って伝えてしまうと、施術内容が変わってしまい、自分の疲れが解消されない可能性があるからです。「背骨が折れそう」なんて伝えたら、おそらく背中のマッサージはやってもらえないですよね(笑)。
「疲れている症状を前にして、嘘をつく人はいない」。この事実を、私は「悩みを前にして、自分を盛る人はいない」と読み換えて考えるようにしています。
医師に対して、自分の病状をごまかして伝えては、適切な治療が受けられないのと同じことです。悩みを吐露する時は、その人の等身大の姿が表れます。悩みを相談するのであれば、ありのままの自分を相談相手に伝えないと、自分がその悩みから逃れられないからです。
人は、悩んだ時に嘘をつけない。言い換えれば、悩みは嘘をつかないのです。
悩みは可能性を引き出す「情報の宝庫」だ
「我思う、故に我在り」。この言葉をご存知でしょうか。
今から約400年前、著名な哲学者のデカルトが発した言葉で、「自分を含めた世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことができない」という意味です。
少し話が飛躍してしまいますが、私はデカルトに倣って「我悩む、故に我在り」との考え方を提唱しています。「自分を含めた世の中のすべてのものの存在を盛ることができたとしても、悩んでいる自分自身の存在だけは盛ることができない」という意味においてです。
……それだけ悩みは「リアル」で、嘘をつかないものなのです。そのように悩みを解釈し直すと、悩みとは、その人を理解する上での「情報の宝庫」と言えるでしょう。