——毛沢東時代までは儒教へのアンチテーゼを主張してきた中国共産党が「儒教化」されるのは皮肉な気もします。ただ、中国共産党は近年、確かに不思議なほど儒教を大事にしているようです。

【中島】欧米の民主主義と科学という近代の「外王」への信頼が揺らぎ、中国は新しい「外王」を自分たちの力で実現できるという考えが強まっている気がします。中国的なデモクラシーと、科学技術や科学思想を備えた、さらに新しい「外王」をつくる。そして、こうした外王にふさわしい「内聖」もつくれるんじゃないかと。

近年、中国共産党が儒家に熱いまなざしを送っているのも、新しい「内聖」をつくる期待ゆえではないでしょうか。2012年8月には「新二十四孝」という親孝行のススメが提唱され、翌年に成立した習近平政権もその学習を呼びかけています。もちろん、こうした風潮に対して批判的な立場もあるのですが、全体的には現在の中国の儒教には、こうした流れがあるとみていいと思います。

「民主はやはり国産のものがいい。なぜ中国式民主は中国の国情に合っているのか」と題された、中国各地の党支部などで使い回すためのパワーポイントのテンプレート表紙。中国のテンプレート配布サイト『辦図網』より
「民主はやはり国産のものがいい。なぜ中国式民主は中国の国情に合っているのか」と題された、中国各地の党支部などで使い回すためのパワーポイントのテンプレート表紙(中国のテンプレート配布サイト『辦図網』より)

習近平政権の目指す「中国の夢」の元ネタ

——本書『中国哲学史』を通じて、習近平政権のスローガンである「中国夢ヂョングォモン」(チャイニーズ・ドリーム)と同じ名前を冠した論文が2006年に刊行されていたことをはじめて知りました。中国社会科学院哲学研究所研究員の趙汀陽ちょうていようの論文「アメリカの夢、欧州の夢、中国の夢」です。

2015年1月24日、上海の大手ニュースメディア『澎湃』に登場した際の趙汀陽
2015年1月24日、上海の大手ニュースメディア『澎湃』に登場した際の趙汀陽(『澎湃』より)

【中島】はい。趙汀陽は前政権の胡錦濤時代に、若い世代に影響を与えたと言われ、胡錦濤政権への思想的影響力も強かった現代哲学者です。彼は日本の竹内よしみの議論も下敷きにして「方法としての中国」を提唱しました。つまり、中国に本質はない、いかなるイデオロギーにも拘泥せず、水のように柔軟な在り方をするものが中国だと説いたのです。

——2013年までの胡錦濤時代までの中国は思想統制がゆるく、知識人の間でリベラルな議論が好まれる風潮がありました。趙汀陽の主張も、いかにも当時らしい雰囲気を感じます……。しかし、現在の習近平政権の「中国夢」の元ネタが趙汀陽の著書というのは、かなりギャップが大きい気もします。

【中島】「中国夢」という言葉は趙汀陽以降にもしばしば用いられたもので、習近平政権がどれを参照しているかは議論が分かれるところです。趙汀陽の考えについて言うと、現在の習近平政権のような本質主義的な主張はほとんど見られず、逆に「中国の夢」は複雑な矛盾に満ちた夢だと言っています。そして「中国の夢」は、世界に開かれた普遍性を持てるようにしなくてはならないとまで述べています。

趙汀陽は最近では「天下主義」という主張で知られています。世界をとらえる単位として、欧米が発明した近代の国民国家よりも高次の「天下」という広い概念をあらためて想定して、中国がこの天下に普遍的に貢献できないかと考えているのです。

自己批判性や普遍性が失われた「中国の夢」

——習近平政権では、「中国夢」のほかに「人類運命共同体」という概念も提唱されているので、やはり趙汀陽の主張は習近平政権にも影響を与えているのでしょう。ただ、近年のコロナ発生やウクライナ戦争に際して中国が見せているエゴイスティックな自国中心の姿勢と、趙汀陽が考えた普遍性を持つ天下主義はかなり違う感じがします。

【中島】似て非なるものですよね。趙汀陽の主張とは異なる定式化がなされたと思います。「中国夢」にしても、その夢を抱くはずの中華民族とはいったい誰なのかがよく分かりません。本来の趙汀陽の思想のなかにあった自己批判性や、普遍的に開かれた側面が、もうすこし強調されてほしいと感じます。

——個人的な意見ですが、現在の中国共産党は、対象を中国人に限定すれば、多数の人民を豊かでハッピーにしているのは事実であると思います。ただ問題は”中国人以外”の全人類にとっては、「カネになる」以外の魅力をなにも示せていないこと。中国に欠けているものは普遍性だと指摘した最初の着眼点はよかったのに、なぜ現在のようなことになったのか……。

【中島】これは日本でもあったことでしょう。往年、京都学派の哲学者だった三木清(1897〜1945)がおこなった東亜協同体の議論が、やがて大東亜共栄圏にのみ込まれてしまった例もあります。どの国でも起きることなのです。