弟子一人ひとりが手を握って
翌13日。東関の指先に付けられたパルスオキシメーターは、数値を示さなくなっていた。それは、酸素がもはや身体の隅々まで行き渡っていないことを意味する。午後7時過ぎ、真充さんは、力士ら部屋の若い衆を集めてこう伝えた。
「一人ずつ、親方に声をかけてあげてください」
弟子たちが代わる代わる名乗って、痩せ細った東関の手を握った。言葉にならず、ただ静かに落涙する若者もいる。全員が声をかけ終わると、東関の弱々しい息づかいは、奏で終えるオルゴールのように、呼吸のペースを落としていく。
「まだいける! 親方、がんばって!」
家族や若い衆たちに見守られる中、別れの瞬間が訪れようとしていた。
「いやだ、いやだ!」
真充さんは、まだ2歳に満たない娘を抱き、夫の身体に覆い被さって泣き叫んだ。妻と娘の体温を感じながら、東関は最後に大きな息をフーッと吐き出し、永遠に心音を止めた――。
◇
東関が旅立って、2年余りが経つ。その後、東関部屋は後任の親方探しが難航し、当時の振分親方(元小結・高見盛)が一時的に継ぐも、1年後に閉鎖。弟子たちは同一門の八角部屋に移った。建物は二子山部屋として生まれ変わり、今も大相撲と関わり続けている。
真充さんは現在、関西圏に住まいを移して、娘と2人で暮らす。東関が亡くなった時、1歳10カ月だった娘は、今年1月末ではや4歳になった。
火葬の日、娘は天井を指さして「パパ」と声を上げた。もう立派にしゃべれるようになった今、あの時のことを聞くと、娘は必ずこう答えるという。
「パパが肩をトントンして、『もう行くね』って、お空にシューンと飛んでったの」
自宅では毎日、“パパのおうち”と呼んでいる小さな仏壇に、手を合わせている。
「娘の成長を感じる度、パパだったらこう言うだろうな、親子3人で暮らせていたら楽しかっただろうな、と思います。彼はいつまでも私の愛する夫であり、娘の父親です。夫が遺してくれた娘を、精いっぱい育てていきます」(真充さん)
その姿を、東関は空の上から見守り続ける。