「男の生き様を見せてくださいました」医師はこう言って東関親方“最後の退院”を認めた(「週刊文春」編集部/週刊文春)
「娘も生まれたばかりなのに」悪性の希少ガンを患った東関親方41歳の闘い から続く
横綱曙を生んだ名門部屋を31歳で継いだ元潮丸の東関親方。部屋を新築し、待望の娘が生まれた矢先、体に異変が。咳が止まらず、痩せ細っていく――悪性の希少ガンだった。41歳で亡くなるまで2年間の闘いの記録。(全2回の2回目。前編を読む)
「一緒に散歩に行きたいなあ」
しばらくは東関の体調も安定。親子3人は自宅で濃密な時間を過ごした。娘が迎えた初めての誕生日。東関の提案で、プレゼントは大きな「ミッフィー」のバルーン遊具に決めた。
真充さんの手元には、当時の父娘の写真が、数多く残っている。ハイハイから掴まり立ちができるようになり、やがてよちよち歩きを始める娘。東関のベッドのそばを、片時も離れようとしない様子が分かる。
「よくなったら、一緒に散歩に行きたいなあ」
そう目を細めていた東関の写真は、日付を追うごとに愛らしく成長していく娘とは対照的に、抗ガン剤の影響で毛髪が抜け落ち、痩せ細っていく。
それでも、東関は闘病の傍ら、約10人いた弟子たちの指導にも、全力で取り組んだ。体調のよい日は、2階のベッドから酸素吸入のチューブを延伸し、1階の稽古場まで降りて力士たちを見守った。審判部の親方として現場復帰することも、闘病の強いモチベーションになっていた。だが――。
同年夏、ガンの転移で骨が脆くなっていることが分かり、治療をした帰りのこと。東関がポツリと呟いた。