「サリドマイド禍」では奇形児が多数生まれた

副作用が少なく効果が高いと宣伝された薬が、たくさんの人に使われた結果「薬害」を引き起こしたという事例は他にもあります。1950年代末から60年代初めにかけて問題となった「サリドマイド禍」です。

1957年に西ドイツ(当時)で、鎮静・睡眠薬として発売されたサリドマイドは、「妊婦や小児が安心して飲める安全無害な薬」として、日本でも発売されました。そして、その宣伝文句を信じて、多くの妊婦がこの薬を服用しました。

しかし、その結果、手足や耳に奇形を持った子どもが多数生まれました。内臓に奇形を持った胎児は流産・死産となり、生き延びることができずに亡くなってしまう乳幼児もいました。サリドマイド被害者は世界で8000~1万2000人にのぼり、そのうち5000人だけが生存したと推計されています。日本では訴訟和解成立後に、309人が被害者として認定されました。

小児科医の警告を聞かず、対応が遅れた日本

実は西ドイツでは、小児科医で人類遺伝学者だったレンツ博士が、1961年11月に、手足に奇形を持って生まれた子どもとサリドマイドとに因果関係があるのではないかと学会で発表していました。

この「レンツ警告」を受けて、ヨーロッパ各国では発表から10日後に製造販売が中止され、回収が始まりました。しかし、日本の厚生省(当時)がレンツ警告には「科学的根拠がない」との見解を出したために、製薬会社は販売を続けたのです。

そして、当時の日本の新聞もレンツ博士の警告を報道せず、むしろ「サリドマイドによって胎児に重大な奇形が起こるのは考えにくい」といった専門家のコメントを載せていました。

ところが、胎児奇形を起こすことが世界的に認められる流れになると、マスコミは一斉に「薬害だ」と騒ぎ始めました。厚労省や製薬会社も事態を無視できなくなり、西ドイツの措置から10カ月後の1962年9月になってようやく、日本でもサリドマイドの販売停止と回収が発表されたのです。

サリドマイドの被害者で、厚生労働省医薬品等行政評価・監視委員会委員も務める東京理科大学薬学部准教授の佐藤嗣道さん(公益財団法人いしずえ サリドマイド福祉センター理事長)は、次のように話しています。