「肩書」は人を狂わす
鈴木は2021年3月のびわ湖毎日マラソンで大迫傑が保持していた2時間5分29秒を塗り替える新記録をマーク。一躍、パリ五輪の星として脚光を浴びるようになった。しかし、「日本記録保持者」の肩書が重荷になったという。
「周りからの見られ方も変わりましたし、今回のレースでも注目されました。私はあまり目立つのが得意ではないので、精神的にきつかったんです。出場する試合ごとに注目されて、『絶対に外せない』と自分自身でプレッシャーをかけていました。本来ならば強い選手に挑戦していきたいタイプなんですけど、追われる立場になったのが苦しかった部分です」
これまでのキャリアがないわけではない。神奈川大時代からロードの強さには定評があり、3年時には箱根駅伝の“花の2区”で区間賞を獲得。4年時は全日本大学駅伝の最終8区で17秒先行していた東海大を悠々と逆転して、チームに20年ぶりの日本一をもたらしている。
マラソンでも積極的な走りを披露した。7位に終わった2020年9月のMGCでは何度も集団を揺さぶっている。2019年のびわ湖も日本勢では最後までトップ集団に食らいついた。
常に「挑戦者」としてレースに臨んできた鈴木だが、日本記録保持者になったことで「追われる立場」になった。自分の立ち位置が変わることで、自信をつけることもあれば、逆に人を狂わすこともある。鈴木の場合は後者だった。
加えて、本番前の状態も良くなかった。大会2日前の会見では「コンディションはぼちぼちです」と答えていたが、日本記録を出した昨年のびわ湖と比べると「5~6割」の状態だったという。今年正月のニューイヤー駅伝後は、1年前のびわ湖と同じ流れでマラソン練習に取り組んだが、膝裏を痛めて2週間ほどポイント練習ができない期間があったのだ。