「毎朝決まった時間に起きるのが嫌」で看板の道に

近鉄大阪線の高安駅から10分ほど歩き、静かな住宅街を抜けた先の大阪外環状線の通りに面してポップ工芸の社屋は建っていた。

入口の前にはポップ工芸が手掛けた立体看板が制作物のサンプルがわりに置かれており、「なんだか面白そうな会社だ」と思わせる雰囲気が漂っている。

お忙しい中、ポップ工芸の代表取締役・中村雅英さんが取材に応じてくださった。

最初に会社の沿革について伺ったところによると、20代のはじめから15年近く製薬会社でサラリーマンをしていた中村雅英さんは、毎朝決まった時間に起きなくてはならない生活が嫌で仕方なくなり、あるとき、会社をやめることを決意。たまたま手に取った新聞の紙面に看板制作会社の求人広告を見つけ、「ここに入れば後で独立して自分のペースで仕事ができるようになる」と考えたという。

飲食店の開業に必要な調理器具や什器などを扱う店が多く集まる「千日前道具屋筋商店街」の看板制作会社に入り、1年間で看板制作に必要な大まかな技術を学んだ。住まいから近かった大阪府枚方市に10坪ほどの事務所を構え、晴れて独立したのが、雅英さんが35歳のとき、1986年のことだった。

出所=『「それから」の大阪』
写真=スズキナオ

立体看板制作のきっかけになったラーメン店からの依頼

それから10年ほどは、大手の看板制作会社の下請けという形でオーソドックスな平面の看板を手掛けていたが、1997年に突然、立体看板の制作依頼を受けた。発注元は道頓堀にある「金龍ラーメン道頓堀店」で、龍をかたどったインパクトのある看板を作って欲しいという依頼だった。

しかし、それまで平面看板しか作ってこなかった雅英さんには、立体物を作る上でのノウハウが一切なかった。当時、「かに道楽」の巨大看板はすでに存在していたそうだが、あれがどうやって作られたものなのか、情報もまったくない。そこからはまさに試行錯誤の連続だったという。

——どういう材料で作ればいいかもわからない状態でスタートしたわけですね。

大きい龍ですから、発泡スチロールで形を作ろうということでやったんですけども、FRP(繊維強化プラスチック)ゆう合成樹脂を塗ったら発泡スチロールが溶けてしまったんです。それで、なんか考えなあかんゆうことで、金網で形を作ってその上に樹脂(FRP)を塗って、そして彩色していくことにしました。最初は何もわからんから大変でしたね。

2カ月ほどの期間をかけ、なんとか無事に看板を制作することができた。その後も平面看板をメインに制作していたが、徐々に立体看板の制作依頼が増えていったという。「このままではどっちつかずになる」と考えた雅英さんは、2002年ごろ、ポップ工芸を立体看板専門の会社へとシフトすることを決めた。サイズの大きなオブジェを制作する機会も増え、2007年には工場を八尾市に移転し、広い敷地で作業ができるようになった。