最近、横浜中華街でどんどん増えている意外な商売がある。立正大学の山下清海教授は「空き店舗に占い店が入るケースが増えている。コロナ禍でも勢いはとまらず、今では3つのグループが競う激戦区となっている」という――。
※本稿は、山下清海『横浜中華街』(筑摩選書)の一部を再編集したものです。
日中国交正常化から今の「横浜中華街」ができた
横浜中華街は、もともと華僑と日本人が共存する町であった。
それが1972年の日中国交正常化を契機に中国ブームが起こり、中国料理店、中国食料品・物産店、中国民芸品店など中国関係の店舗が増加し、今日の「横浜中華街」イメージが形成されていった。
中国色一辺倒のまちづくりが進む中で、やや性格の異なる店舗が、1978年、横浜中華街に進出した。トルコ語で「寄り合い茶屋」を意味する店名のエスニック雑貨店「チャイハネ」である。
チャイハネのコンセプトは、「インドやネパールを中心とした雑貨と衣料を、暮らしの中に取り入れてもらおう」というものであった(横浜中華街発展会協同組合監修、2005年)。
なぜかエスニック雑貨店「チャイハネ」が大人気に
筆者は、横浜中華街にチャイハネを創業した人がどんな人物であったのか、興味をもって調べてみた。
チャイハネの創設者、進藤幸彦(1939~2016年)は、民俗学を学ぶため東京教育大学(筑波大学の前身)文学部史学方法論専攻に進み、1965年に卒業した(筆者が地理学を学ぶために、東京教育大学理学部地理学専攻を選んだのと共通するところがある。私自身も文学部の教室に行って、史学方法論の民俗学に関する講義を受講した)。
進藤は大学卒業後、東京の本郷高校の教諭を7年間勤め、この間、1969、70年にトルコ政府給付生としてトルコにおいて民族芸能の研究を行った。1973年、高校教諭をやめた後、海外の民芸品などを扱う輸入会社の勤務を経て、自らエスニック雑貨店「チャイハネ」を、1978年に現在の南門シルクロードに創業したのである。