法律の“真空地帯”で下された「超法規的」判断
元総理大臣による「超法規的」という発言は、きわめて重いものだった。
「東日本壊滅」という「最悪の事態」を前にしたとき、個々の作業員の生命、身体の安全より、事故収束活動を優先せざるを得なくなるというのが菅の判断だった。それは突き詰めていうなら、国家の最高規範である憲法によって誰もが保障されている人権を、国家が侵すことがありうることを意味していた。
だが、菅の判断を正当化する法律上の制度や手続きは、何も準備されていなかった。そのことが生み出した“真空地帯”を前に、菅は「超法規的」な判断に踏み出さざるを得なかったのだ。
今回、私たちの取材に対し、東電は、この退避をめぐる事実関係について、「事故翌年の報告書に示している」と回答した。報告書に記載されているのは以下のとおりである。
本件は、本店と官邸の意思疎通の不十分さから生じた可能性があるが、本店も発電所も、もとより作業に必要なものは残って対応に当たる考えであった。現実の福島第一原子力発電所の現場においては、当社社員は原子力プラントが危機的状況にあっても、身の危険を感じながら発電所に残って対応する覚悟を持ち、また実際に対応を継続したということが厳然たる事実である。この行為は、総理の発言によるものではない。
東電や政府の報告書は重要な議論に触れていない
この東電の報告書には、15日早朝、東電本店で菅ら政権幹部と東電経営陣、吉田らの間で行われた最も緊迫したやりとりについては何も触れられていない。
これは、東電の報告書に限らず、政府や国会の事故調査報告書でも同様である。国家が国民に「死」を強要することができないという憲法上の要請と、それを行わなければ、国家自体が壊滅しかねないという矛盾。この議論は、これまでタブーであるかのごとく、蓋をされたままである。
結局、15日の朝、第一原発からは所員のおよそ9割、600名以上が、第二原発へと退避した。第一原発に残ったのは、吉田以下69名。事故収束作業は、この人員で継続することになった。
しかし、この少数の人間ですべての作業を行えるはずもない。「最悪のシナリオ」を回避するため「誰が命をかけるのか」という問いをめぐる混沌は、こののち、より鮮明な形で顕在化していく。
※記事制作にあたり、書籍の文言に一部変更を加えております。