国家vs国家、日本文化vs米国文化、保護主義vs自由主義……争点がいっこうに定まらぬまま、交渉への参加を決めた日本。TPPとは、いったい誰のための“パートナーシップ”なのか?

「日本は市場を閉鎖する一連の政策で悪名高い」――2011年12月14日、ワシントンの米下院歳入委員会貿易小委員会でのマクダーモット民主党議員の発言だ。

この日の委員会では、日本が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への交渉参加方針を表明したことを議題とする公聴会が開かれていた。同議員は「農業・自動車・保険」の分野を挙げ、日本の市場閉鎖性を批判。共和党議員も「(日本が)牛肉に非科学的な基準を適用している」と日本の安全基準をやり玉に挙げた。

「非科学的」とは恐れ入るクレームだ。プリオン発症の科学は確率を基準としており、人類はいまだその充分な母数を得ていない。その見識に基づいて他国が国家主権で決めた安全基準まで問題にするとは常軌を逸しているが、そこではそれが当然のように主張された。委員会に参加していた穀物メジャーのカーギル社や小売り世界最大手のウォルマートの幹部たちからも、コメや牛肉の閉鎖的市場を糾弾する強硬な証言が相次いだようだ。

TPP、EPA、FTA……。新聞やテレビで様々な国家間貿易協定の名称が氾濫している。国民にはその違いがなかなか理解しづらい。EPA=経済連携協定の形態の一つが、特定の国の間で関税や数量制限などの貿易障壁を取り除く目的で結ばれるFTA=自由貿易協定。FTAには、たとえばNAFTA=北米自由貿易協定があるが、そもそもFTAは地域を限定しない。TPPは、環太平洋という地域に参加国を限定し、関税をはじめとする様々な経済的垣根を取り払う目的で結ばれる協定だ。

世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が始まったのは2001年。しかし、「全交渉分野での一括合意」という高すぎる目標で暗礁に乗り上げ、最近は各国が多国間交渉からグループごとの自由貿易体制へとシフトしつつある。FTAやTPPに重心が移動し始めているのだ。