バチカン関係者は日本に無関心
——中村さんが教皇の訪日を実現させようと思うきっかけはなんですか?
【中村】バチカン大使に任命されるまで、私は内閣官房参与として官邸で働いていました。官邸で、教皇の来日を望む声をよく耳にしました。
安倍総理(当時)が前からおっしゃっていた「核なき世界の実現」や環境保護などは、バチカンの問題意識と価値観が同じものでした。
2代前の教皇だったジョン・パウロ2世が来日したのが1981年。2014年に現教皇は韓国を訪問しましたが、来日はしなかった。
そんな状況でバチカン大使就任の打診を受けた私は、ぜひ教皇に日本を訪れてほしいと思い、大使としてのミッションだと考えるようになりました。
大使の任期中の2017年は、日本とバチカンが国交を樹立してから75周年にあたります。25という数字はカトリックにとって特別なんです。75も25の倍数ですから同じく大事にされている。教皇の訪日を実現させるなら、このタイミングを狙うしかないだろうと思ったんです。
ただ、実際に大使としての生活がはじまって実感したのは、バチカンにおける日本の存在感の薄さです。日本のカトリック信徒は約45万人で、人口の約0.35%と非常に低い。当時は日本人の枢機卿(教皇に次ぐ位置の聖職者)もいないし、教皇庁で働く日本人もいませんでした。
またバチカン関係者が、日本に対して無関心なのも気になりました。ある枢機卿は日本には大きな社会問題がないと語っていた。
でも日本は、離婚率や若者の自殺率の高さ、高齢者の孤独死、引きこもりなどたくさんの社会問題を抱えているでしょう。そうした日本の実態を知る人もほとんどいなかったのです。
「若い頃に宣教師として日本で活動したかった」
——教皇の訪日には大きなハードルですね。
【中村】実は、赴任当初から訪日実現に向けて確かな手応えを感じていました。というのも、私が最初にお目にかかったとき、教皇は「若い頃に宣教師として日本で活動したかった」とおっしゃっていたのです。
体調の問題もあり、所属するイエズス会からストップがかかって、訪日は諦めたそうですが、教皇は2人の弟子を日本に送りました。教皇は日本に強い関心をお持ちだったんです。
——イエズス会と言えば、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルですね。
【中村】教皇もイエズス会のそうした流れを意識していたようです。