東芝社長や経団連会長を歴任し、「ミスター合理化」として行財政改革にも辣腕をふるった土光敏夫とは、どんな人物だったのか。経団連で土光氏の秘書を務めた中村芳夫さんは「社員をよく叱責するので『怒号さん』と呼ばれていた。しかし、それは威張り散らすような怒り方ではなかった」という――。(後編/全2回)
土光敏夫第2次臨時行政調査会会長(1981年10月)
写真=時事通信フォト
土光敏夫第2次臨時行政調査会会長(1981年10月)

経団連会長・土光敏夫と現ローマ教皇の共通点

——バチカン大使日記』(小学館新書)に書かれているように、中村さんは経団連の事務総長を経てバチカン大使となり、ローマ教皇の38年ぶりの来日を実現させました。土光敏夫さんとローマ教皇にリーダーとしての共通点はありましたか?

【中村】共通点をあげるとするならば、若い世代への期待ですね。

コロナ禍でオンライン開催になってしまいましたが、教皇は経済や環境問題、貧富の格差、自由主義経済について、世界中の若者たちと語り合う「フランシスコの経済」という集会にとても強い思い入れをお持ちだった。

土光さんも、日本をよくするためには若い人の力が必要と考えており「若い者と対話せよ」という持論を実践されていた。

改めて共通点を考えてみると、お二人は未来を見通す視野の射程が長かったと言えるかもしれません

もうひとつが現場主義です。

教皇は権威的になった神父に対して、「人々が何に苦しみ、何に困っているのか、どんな問題を抱えているのか、教会を出て、外で、現場で向き合え」と話します。

一方の土光さんもやはり現場主義を貫きました。視察に行くと必ず、工場などの現場に足を運びました。現場を重視し「人間は平等」という考えを持っていた。