中国では長い夫婦別姓の歴史を持つが、その意味するところは1950年を境に大きく変化した。中国在住のライター、斎藤淳子さんは「その背景には、父系家族を重視する儒教思想の根強い伝統と、革命を経て都市部で根付いた男女平等がある」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、冨久岡ナヲ、斎藤淳子、伊東順子ほか『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

中国の茶道にティーカップを持つ伝統的な結婚式の衣装で花嫁と花婿
写真=iStock.com/hxyume
※写真はイメージです

世界に先駆けて実現した“平等な”夫婦別姓

世界を見回してみると夫婦別姓の議論が盛んになったのはほとんどが1980年代以降だ。中国はそれらにずっと先立って男女平等の原則に基づいた夫婦別姓を実現した。世界に先駆けた夫婦別姓はどのように導入されたのだろうか?

中国で男女平等の原則から夫婦別姓を定めたのは1950年の「婚姻法」だ。1949年に誕生したばかりの新生国家にとって、同法は土地改革とともに人口の半分に当たる女性を「社会と家庭の二重の抑圧から解放」し、民衆基盤として取り込んだ重要な法律と位置付けられている。

同国の婚姻は長年本人の意思に拠らず、親が家と家の関係の中で差配する封建的なものだった。それに対し、婚姻法では婚姻における夫婦間の関係は平等となり、当事者2人の「婚姻の自由」が初めて認められた。そして、「夫婦は自らの姓名を各自が使用する権利を持つ」と定められた。

後述するように表面上は従来からの「夫婦別姓」と変わらなかったが、その思想は「男女平等の原則」に基づいたものへと質的に大きく変化した。この規定は2021年に施行された新民法典にも吸収され、そのまま今日に至っている。

「空の半分は女性が支える」

柯倩婷(カ・チンティン)中山大学副教授(ジェンダー学)は婚姻法の実施の背景について、「男女は平等で、独立した人格をもち、女性は男性の附属物ではないといったマルクス主義の思想の影響ももちろん受けた。しかし、中国国内にも、革命初期の延安時代の頃にすでに本人の意思による自由な結婚など家庭内の平等を目指す『家庭革命』の根はあった。当時は政治運動的な性格が強く、革命思想の強い潮流下で初めて『家庭革命』も実現した」と指摘する。

また、「婚姻の自由や夫婦別姓などを含む婚姻法の実現は、女性にとって大きな解放を意味する政策だった。同法の中には多くの先進的で徹底した男女平等の概念が含まれている」と述べる。「空の半分は女性が支える」と中国人なら誰でも知るキャッチフレーズにあるように、中国の女性は、国全体の政治運動の機運に乗って男性と平等に位置づけられた。また、結婚の自由と同時に自分の姓を結婚後も独立して使用する権利を一気に獲得したのだ。

こうして中国の女性は封建的な儒教思想からにわかに解放された。中国の女性が男女平等の原則のもとで独立した姓を名乗る権利を得たのは、柯副教授が指摘するように当時はかなり先進的だったといえるだろう。