医療や介護、保育など社会に欠かせない仕事に就く人は、そうでない人に比べて給与が低い。デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』翻訳者の1人である酒井隆史さんは「エッセンシャル・ワーカーの劣悪な労働環境には、労働価値基準の根深い闇が存在する」という――。

※本稿は、酒井隆史『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

車椅子で散歩するシニアとケアヘルパー
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経済停止と「エッセンシャル・ワーカー」

「エッセンシャル・ワーク」ないし「エッセンシャル・ワーカー」という概念が浮上してきたのは、もちろん、COVID19パンデミックのもたらした「ロックダウン」、日本では「自粛」状況です。

それがグレーバーのかねてよりのBSJについての主張を事実によって裏づけたという感もあり、「エッセンシャル・ワーカー」という概念にひそむ認識と共振したようにもみえます。グレーバーはずっと「必要のない仕事は存在する」と論じてきました。とはいえ、「経済」を止める以外に、この世界が回っていくのになにが必要か必要でないかをみきわめる方法はありません。

だから、「経済」が停止するという事態は、実験が不可能な社会科学的領域において、そうそうある機会ではなかったのです。ところが、このパンデミック状況が、皮肉なことに、それを可能にしました。

経済を測定する尺度への疑念

グレーバーは、パンデミック初期、2020年5月のインタビューでこう述べています。

長いこと、世界中の政府が、こんなことなんてありえないとわたしたちに説きつづけてきました。

すなわち、ほとんどすべての経済活動が停止すること、国境を閉鎖すること、そして世界規模で緊急事態が宣言されることです。

3カ月ほどまえまでは、GDPが1%減少しただけでも大惨事になるとだれもが予想していました。ゴジラみたいな経済的怪物に、わたしたちが押しつぶされてしまうかのように、です(中略)。

ところが、だれもが自宅でじっとしていましたが、経済活動の減少はたった3分の1です。すでにこれ自体、ぶっとんでますよね。だれもが自宅にじっとして、なにもしないとすれば、経済活動は少なくとも80%ぐらいは低下するようにふつう考えませんか。

ところが3分の1なんです。いったい、経済を測定する尺度ってなんですか?