「アラサー」の存在論

もう一つ、マーケティングとも関わりの深い事例として、「アラサー」について考えてみたい。「アラウンド・サーティ」を略して作られた「アラサー」という言葉は2006年ごろから使われるようになり、それから10年以上を経た2020年代においても日常的に使われている。もともとは「30歳前後の女性」を指して使われるようになった言葉だが、時を経て男女問わず30歳前後の人を指して使われるようになっている。

存在ということに引きつけて言えば、2006年ごろから、「アラサー」という性質が存在し始め、少しずつ形を変えながら、現在でも存在し続けている。将来的に「アラサー」は死語となるかもしれないが、そのときはそれに伴って「アラサー」という性質も存在しなくなるということになる(あるいは未来の読者にとっては「アラサー」はすでに死語と感じられており、したがって「アラサー」という性質ももはや存在しなくなっているかもしれない)。

「アラサー」が存在するようになったということは、「アラサー」が他の何かから区別されたということである。では、「アラサー」は何と区別されているのだろうか。もちろんそれは、30歳前後以外の人である。何歳から何歳が「アラサー」であるのかという議論をここで展開するつもりはないが、少なくとも40代前半や10代後半の人は「アラサー」ではない。

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写真=iStock.com/Olivier Le Moal
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22歳と27歳の価値観の違い

「アラサー」の面白いところは、それまでと人の分類の仕方を変更することで成立している点だ。例えばこれまでも、「20代」や「30代」という分け方によって人が分類されてきた。しかし、22歳の人と27歳の人では、同じ20代でも価値観が大きく異なることがある。同じ5歳差でも、27歳と32歳の二人の方が、価値観が近い場合も多いだろう。20代や30代という、年齢の十の位に注目した機械的な区分に基づいた性質によっては、このことをうまく捉えられない。しかし、「アラサー」という言葉があることで、27歳の人と32歳の人が持っていて、22歳の人が持っていないような性質を取り出すことができるようになる。

また、著述家としても活躍する辞書編纂者、飯間浩明は、「アラサー」という言葉と「年増」や「オールド・ミス」、「ハイ・ミス」といった、差別的なニュアンスを伴って特定の年齢層の女性を指すために使われた言葉とのつながりを指摘している。これらと「アラサー」の関係は確かに興味深い。

このほかに、これに似た言葉として、「ミッシー」や「ヤング・ミセス」という言葉もかつてはしばしば使われていた。「アラサー」という言葉は、これらの言葉に色濃く反映されていた既婚か未婚かによる区別を重視する風潮を打ち砕いて、年齢による大掴みな区別を可能にした。さらにこの言葉は、始めは女性を指して使われていたにしても、現在の使われ方に照らして考えれば、男性か女性かによって人々を区別することをやめさせる潜在的な力をも持っていたと言えるだろう。