業者テストの採点は労働なのに、小テストの採点は労働ではない

教員が時間外に行っていることのうち、業者テストの採点は「労働」なのに、小テストの採点は「労働」ではないとか、通知表の作成は「労働」なのに、保護者面談は「労働」ではないなどというのは、おそらく常識的な感覚からすれば、違和感のあることだと思う。

はたして、校長の指揮命令があったかどうかで、「労働」か否かが分かれるという理屈で、本当によいのだろうか。

学校に遅くまで残っている先生は「趣味で」なのか

多くの学校では、こと細かく校長がこの時間には何々をせよと命じることはそうはない。だが、この裁判の原告が示したように、先生たちは時間外にも膨大な量のさまざまなことを、学校の業務、仕事として従事している。なのに「労働」ではないなんて。趣味で遅くまで学校に残っているとでも言うのだろうか?

また、今回は翌日の授業準備については、1コマあたり5分だけ「時間外労働」として認められたが、5分で準備できれば誰も苦労しないし、おそらく質の高い授業にはならないであろう。

さらに付言すれば、校長の指揮命令にはない、教員の自主的、自発的に取り組んでいるとされる業務のなかには、授業準備や教材研究、添削、コメント書きなど、子どものためを思って一定の裁量をもって尽力していることが多く含まれている(なかにはやらされ感のある仕事もあるかもしれないが)。こうした一定の裁量、自由度は、本来は教員という仕事の魅力だったはずだ。それを「労働ではない」としていいのだろうか。

裁判は個々の具体的な事案についての判断であるが、立法論、政策論としては、時間外の業務の位置づけについて、今一度、考え直す必要があるのではないか。